<志村正彦と路地裏の僕たち>

志村正彦について

1980年7月10日、下吉田新町に生まれ、市立第一保育園、下吉田第一小学校、下吉田中学校、吉田高等学校へと通う。 同級生で2000年に結成したバンドはデビューを目指し上京、紆余曲折を経て2004年にはメジャーデビューを果たし、2008年には夢だった旧富士五湖文化センターでのライブを実現した。もうひとつの夢でもあった富士急ハイランドでのライブを控え、これからの更なる活躍が期待されていたが、2009年12月24日、多くの人に惜しまれながら突然この世を去った。 生前、志村正彦はライブMCや雑誌のインタビューなどでも、富士吉田を話題にし、きっと心にはいつも故郷富士吉田が大きく存在していたことだろう。その思いは楽曲にもあらわれており、富士吉田を感じられる曲が多くある。 音楽を心から愛し、情熱をそそいだ志村正彦の創り出す独創的な詩と音楽は、今もなお多くのファンを魅了し続けている。

路地裏の僕たちについて

志村正彦の地元、山梨県富士吉田市で暮らす同級生が中心となってつくった会。 今まで2011年12月、2012年12月と二度にわたり、志村正彦の愛用していた楽器や縁の品の展示会を開催した。 また、2012年の12月から命日の12月24日と誕生日の7月10日を中心に、期間限定で防災行政無線のチャイム音をフジファブリックの曲のメロディーへ変更した。 さらに展示会やチャイムの変更に合わせ、ゆかりの場所や同級生のお店などを書いた「下吉田てくてくマップ」をつくり、全国から訪れるファンへのおもてなしを行ってきた。

フジファブリック志村正彦の友人たちと語る名曲「若者のすべて」の画像

<路地裏の僕たちに突撃インタビュー>

富士吉田市に響き渡る名曲「若者のすべて」

夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな
きっとね いないよな
会ったら言えるかな
まぶた閉じて浮かべているよ

出典: 志村正彦/作詞:志村正彦 作曲:志村正彦

路地裏の僕たち カズさん&タカさんに突撃取材!

あこ:今日の夕方のチャイムで流れる「若者のすべて」という曲について何かお話をお伺いしたいのですが・・ カズさん:歌詞では「夕方5時のチャイムが~」って歌ってるんだけど夏は夕方6時で冬が5時なんです! あこ:あ、それ知ってます!2年前にも志村さんの誕生日にチャイムを聞きに来たんですけど5時になっても流れなくて、調べたら6時で「歌詞と違う!なんで!?」って心のなかでつぶやきました(笑) カズさん:そうそう、2年前の夏は「茜色の夕日」だったよね。 あこ:はい!感動しました!なので「若者のすべて」をチャイムで聞くのは今日が初めてなんです。 カズさん:そうなんだね!夏は歌詞とは違うけど、6時に若者のすべてが防災無線のチャイムで流れるから、今日は是非みんなで聞きましょう^^

路地裏の僕たち公式ブログより

タカさん:ちなみにサビに出てくる「最後の花火」は彼女と観た最後の花火とかじゃなくて(笑) 湖上祭の最後に河口湖で打ち上げられる花火のことなんですよ! あこ:こじょうさい・・って何ですか?? カズさん:湖上祭では毎年8月1日~8月5日にかけて富士五湖それぞれ順番に祭や花火大会が開催されていて、そのフィナーレを飾るのが下吉田に近い河口湖の花火大会! あこ:そうだったんですか!!てっきり私も昔の彼女と行ったのかなとか、でも「会ったら言えるかな」って歌っているので、その夏の最後の花火は好きな人と行けなかったのかな・・なんて色々考えてました。 タカさん:でもそこはリスナーが聞いていろんな意味を膨らませて欲しい部分もあると思うし、正彦が照れ隠しで湖上祭の最後の花火って言ったのかもしれないね!!

フジファブリック志村正彦の友人たちと語る名曲「若者のすべて」の画像

カズさん:あ、若者のすべてとは違うけどあそこにいる人が「記念写真」って曲に出てくるかつての「ちっちゃな野球少年」!!

タカさん:いや「陽炎」に出てくる「隣のノッポ」じゃない?
なぜかいつもバットにテーピングしてたよね(笑)

あこ:ちょっとそのバット借りてお小遣い持って駄菓子屋に行ってきます!!

<志村正彦とのエピソード>

地元、富士吉田での思い出について語る

あこ:学生時代、志村さんとの印象に残った思い出はありますか?

カズさん:とりあえずいつもタカさんの家に集合してたよね!
そこでプロレスごっこしてて、正彦は関節技に弱かった(笑)

あこ:えっ!どんなのですか!?

カズさん:「腕ひしぎ十字固め」っていう技。僕はこれで正彦に「まいった!」って言わせました!!

あこ:あとでその技調べてみます(笑)