想いが強くなるサビ
End of the world
カゴの中の蝶は「自由」を願う
人類の「自由」の願いが届かないように
命が奪われていくのは慣れちゃったけど
出典: 深い森/作詞:深瀬慧 英語詞:Nelson Babin-shoy 作曲:深瀬慧
「世界の終わり」と訳すことができるフレーズは英語で歌っています。
そして再び出だし部分の繰り返しです。と思いきや、少しだけ歌詞が変わっていることに気が付きました。
歌が願いに変わり、気持ちが強くなったと考えられます。
鳥にだって気持ちはあるということが確信へと変わったようなイメージです。
どうしようもない違和感に押しつぶされそうになる
命に値段のついたペットショップの孤独な猫を
人間が優しく抱き上げる
それはまるで命を売り買いする
みんなが嫌いな、、、何だっけ?
眠くて"言葉"が思い出せないや
出典: 深い森/作詞:深瀬慧 英語詞:Nelson Babin-shoy 作曲:深瀬慧
ガラス越しに見世物のように並べられる犬や猫を見て、違和感を感じたことはありませんか?
ここは分かる~!と共感してしまう部分。
ペットショップの前で感じる違和感を上手に表現しています。
ここで思い出そうとしているのは、「偽善」という言葉でしょうか?
人によってさまざまなとらえ方があるのはもちろんですが、ここは「偽善」という言葉がしっくりくるような気がしてなりません。
偽善ではなく本当の善とは何なのか、またもや考えさせられる歌詞です。
大きな目で世界を見つめる
みんなそれぞれ考え方は違うと思うけど
僕は地球と共存してきたんだ
命に最初から価値なんて無いけど
だからこそ大切にしたいと思うんだ
出典: 深い森/作詞:深瀬慧 英語詞:Nelson Babin-shoy 作曲:深瀬慧
命に価値があるという歌詞はよく目にしますが、ここでは命に価値がないと言い切っています。
価値がない命こそ大切にするというのは、どういう意味なのか簡単には理解できません。
命は自然の一部だから、大切なのだということかもしれません。
100年後には誰もが死んでいます。だからこそ今ある命を大切にすることが大切だ。
そうしなければ地球が崩れてしまうということかもしれません。
大きな目で世界を見ると、自然によって支えられている自分がいることに気が付きます。
木で家を作り、動物を食べ、雨によって植物を育てる。
全て自然によって成り立っているのだから感謝を忘れてはいけません。
仏教のような考え方ですが、自然によって生態系が保たれているのだから、どんな命も無駄にはできないということなのかもしれません。
野良犬を見て思うこと
いつの日からか僕は犬が鎖につながれていないと
不思議に思うようになっていた
「どうして君は自由なの?」と
出典: 深い森/作詞:深瀬慧 英語詞:Nelson Babin-shoy 作曲:深瀬慧
最近では野良犬を見ることも少なくなりました。
ウロウロしている野良犬を見ると、正直怖くなります。
それは確かに噛まれることや襲われることに対する怖れもありますが、それ以上に普段とは違うことに対する恐怖の方が大きいように感じます。
そんなとき、犬はペットとして飼われていることが当たり前のように感じてしまっている自分に気が付きます。
自由を奪われてしまった動物たちを当たり前のように感じることは本当に正しいことなのでしょうか?
飼われている犬は、散歩をとても楽しみにして、散歩に行くときはうれしそうに喜びます。
しかしそれは1日1回しか散歩に行けないからかもしれません。
犬にとっては、ペットとして1日1回散歩に行く生活よりも、広い草原で1日中走り回っている方が断然楽しいでしょう。
そんな犬を当たり前のように鎖につなぐ人間はどうなのでしょうか?
動物であれ生き物の命を大切にすることの大切さについて考えさせられます。
深い森に連れていかれちゃうアルバム
アルバム「ENTERTAINMENT」の最終曲
SEKAI NO OWARIの「深い森」はアルバム「ENTERTAINMENT」のシメを飾る曲。
神聖な雰囲気が余韻を残す、最終曲にぴったりの曲だと思います。
これを最後にしてもう他の曲は聴かずにゆっくり眠りたい……そんな気分にさせられます。
眠るといっても、永遠の眠りじゃないですが(笑)
それはまるで、このアルバムを通して森に迷い込み、最後にセカオワによってグンと深い森に連れて行かれたような気分になります。
アルバムを1曲聴き通すと、なんだか1つの物語を読み終わったかのような感覚に。
「深い森」に興味が湧いた人は、是非アルバム全体を聴いて不思議な世界を味わってみてください。