「街」の歌詞に出てくる「魚」とは?

街の真ん中で 息を吸った 魚が泣いた
全て変わってしまった 砂が落ちた 生活が落ちた

出典: 街/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

「魚」について

「街」の中で「魚」が出てきます。いったい「魚」とは何でしょうか。

筆者は、「魚」とは自分であり「人」そのもののことではないかと考えます。

人と人とが共有する場所「街」で共有したいために息を吸ったのに、あまりの悲しみの空気に自分は泣いた。

また貴方も泣いている。時間が経っても解決せず、生活は苦しくなるばかりだ。

という意味にとれるし、また東北大震災のための楽曲でもあったため、その意味としても解釈ができると思います。

ジャケットのなまずの絵でもイメージは沸いてきますね。

「街」の歌詞に出てくる「心像」って?

透明な朝に心像と 何でもないような情操を
愛を食べて動けない君へと
大きすぎる灯りに 逃げ出さない憔悴に
抗わない日常を返したい

出典: 街/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

「心像」の意味とは?

「心像」とは、心模様、要するに「心のドキュン」ときめきを表していると筆者は解釈します。

いつもと変わらない何も感動することもない朝に何でもないキスや抱擁で心のない愛を食べ過ぎて動けなくなっている君へ

僕はふくらんだ期待や希望と変わらない現実に焦りを感じている日常の殻を破れない僕でいるしかない。

というネガティブなメッセージがまたも伝わってきます。

しかしこの「心像」は、筆者は率直に「心臓」のように聴こえてきてならないのです。

「心臓」は日々動きつづけている。

いつもと変わらない朝だけどそこに「心臓」は動いているという思いを彼は伝えたかったのではないでしょうか。

「街」の歌詞に出てくる「君」の存在とは?

その献身の先へ 心は行く 強く
その諦観の奥へ 言葉は行く 深く
ほらー君の疑うものすべて
いつの間にか 君から抜け出した君だ

出典: 街/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

「街」の歌詞の中に「君」が何回も出てきます。

「君」とは彼にとってどんな存在なのでしょうか。

率直に「愛するものや人」のことであり、ネガティブの自分の中の「唯一無二の光の部分の自分」のことを指しているように筆者は解釈します。

彼にとって「君」とは、自分にとって憧れの部分、強い部分、優しい部分、ポシティブな想いなのでしょう。

「君」がいるからこそ救われることができるし、この楽曲にとってはなくてはならない存在です。

「君」と米津玄師との関係について

君が君から抜け出すこととは、自分の殻を破るという行為かもしれないし、率直に「彼女」という存在がいるのかもしれません。

しかしこの抜け出す行為は、献身であったり要するに本当に愛するということです。

そうすることで、愛によって自分であったり、他人であったりのネガティブな心は洗い流されるということを彼は伝えています。

このたった4行の歌詞で、今までのネガティブな心は救われていくのがわかります。

米津玄師は鬱病だったかもしれないけど、彼は自分でこの歌詞を書きながら自分を救い、そして周りを救ってきた強い人だと筆者は考えます。

「君」と米津玄師との関係はまさに愛という言葉一言で表現してもいいのではないでしょうか。

まとめ