リグレットのゆくえ
さよならリグレット
また会う日を夢見てもう一度
もう一度
出典: さよならリグレット/作詞:岸田繫 作曲:岸田繫
ところで、過去から回収されたリグレットはどうなったのでしょう?
大人に戻った僕はそれを上手く捨てることが出来たでしょうか。
この詩をみる限りでは、そう簡単にはいかないようです。
ここではあやふやな夢が登場しますが、「もう一度」を繰り返しているあたり前向きな夢なのでしょうか。
大切なものは目にはみえないといいますから、想像力があれば孤独ではないはずです。
あるいは孤独と失うこと自体が別のものだと言っているとも取れます。
この詩はどちらともいえない真ん中あたりにあるから、危なげで想像力を搔き立てるのです。
そして「また会う日を…」というフレーズは僕の意志を示しているのか。
それともメタファーとしての夢の中を想定しているのか、どちらを選ぶかで解釈も変わってくると思います。
人の心も時間とともに移ろい行くものですし、未来のことは誰も解りません。
解らないから人生は面白いのだよ、と言っているようでもあります。
心やさしき大人
思い出は思い出のまま。
誰も傷つかないようにとひとりでどこかに隠したけれど、もう後悔なんてしていないからさよならできたはず。
ということで物語を終わらせたかったのかもしれませんが、これでは笑いながら泣いているようなものです。
けれど僕がやさしい大人だということはわかります。
では、このやさしさはどのような種類のやさしさなのでしょうか?
この楽曲をみるかぎりでは、心の揺らぎを持てることではないかと思います。
弱さというよりもろさといったほうが当てはまりそうです。
今まで出会ったすべてのものに、責任をもって生きることができます!
なんて胸を張って言える人が、どれほどいるでしょうか?
不完全な人間だらけですから。
この物語に出てくる僕は充分に心やさしき大人です。
この楽曲からみえてくる「くるり」とは
最後にもう一度この歌を振り返ってみます。
何かを見落としているかも知れませんから。
やはり気になります。最初のフレーズ「いつから…」のところです。
この物語のはじまるきっかけのフレーズですから。
これは作詞をされている岸田さんのストレートな表現ではないでしょうか。
くるりといえば柔らかな曲調と時間の流れをテーマにしている詩が多いように思います。
過去・現在・未来という時間の流れが本当は区切りのない時間であること。
このちょっと哲学的なメッセージを日常的なシーンとして書き留められているように感じます。
それだけにあのフレーズにはリアリティーを感じました。
リスナーはいつも自由ですし、その時の気分で音楽を聞きながら好き勝手なことを言うわけです。
けれど非情なことに創作活動にはいつも苦痛が伴います。
しかしながら作り手も作品を作ることで心のバランスを保つことができるのです。
岸田さんの中で何か張りつめたものがあったのかもしれません。
といっても過ぎたことですから。
岸田さんもその当時の心情を思い出されることなどあるのでしょうか。
そしてなんといっても、くるりを特色づけるものは暖かいユーモアのある世界です。
ユーモアは人が生きる上でとても重要な要素ですから。
そこがくるりの長く愛される理由のひとつでもあると思います。
これからも夢を乗せて、行きつ戻りつしてください。
くるりのお薦め曲
三日月
2009年に発表されたこの「三日月」という曲、NHKドラマのタイアップ曲でした。
フォークソングのような懐かしい曲調と、繊細な歌詞が切ないながらも心地よいです。
MVもくるりらしくうまくはぐらかしてくれています。