ある少年の成長譚「ディアマン」
ギター1本の弾き語りで届けられた
2012年1月18日発表、BUMP OF CHICKENの通算22作目のシングル「グッドラック」。
このシングルのカップリング曲「ディアマン」について語ります。
少年期の音楽との邂逅とその後の成長まで丁寧に歌い上げています。
年若い頃に音楽に魅せられたことがある人ならば、誰しもが頷けるようなエピソードが満載です。
私たちは主人公の少年と同じような夢を音楽に見てきました。
音楽と人との関わりはとても強い絆であることをこの曲「ディアマン」で思い知らされます。
「ディアマン」の歌詞に登場する怖がりだった少年の軌跡をたどりながら、人と音楽のつながりを考えます。
それでは実際の歌詞を見ていきましょう。
少年はエレキ・ギターに夢中
小さなアンプが叫ぶ
怖がりな少年 どんどんギターを歪ませた
他人は少しも 解ってくれなかった
5Wのアンプが なるべく小さく絶叫した
閉め切った窓 三日月が覗いてた
出典: ディアマン/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
エレキ・ギターを手にした少年が主人公です。
ナイーブで傷つきやすい性格なのでしょうが、思い立ってエレキ・ギターを入手したのでしょう。
少年が愛したのはロック・ミュージックでした。
それも少しギターがエッジ立ったような激しいロック・ミュージックだと思われます。
歪みに惹かれるようなパンキッシュなサウンドが好みなよう。
しかし少年の趣味を周囲の人たちは分かってくれません。
今はロック・ミュージックへの理解が進んでいる社会でもあります。
あるいはこの少年は藤原基央の少年期の面影なのかもと思わされるのです。
両親など身近な人にとって「ロックは不良への道」みたいな前時代的なイメージを捨てきれなかったのかも。
出力5Wのギター・アンプというのはミニマムなサイズのものです。
最小サイズのギター・アンプでしょう。
エレキ・ギターを始める際には住宅環境とアンプの出力のバランスを考えなければいけません。
出力5Wでは4畳半、6畳間など少年にとって平均的な間取りで鳴らす用途しかないです。
エレキ・ギターを歪ませるにしても100Wのギター・アンプのそれと較べると格落ちの印象があります。
それでも少年は歪みにこだわり続けるのです。
ロック少年にとってまずロック・ミュージックの歪みに注目がゆくのはよく分かります。
自分もこんな音を出してみたいと願う気持ちに共感できるでしょう。
ロックとの邂逅
お気に入りのボーカリスト
布団被ってイヤホン ラジオなかなかのボリュームで
キラキラした音が 体を走り回った
大好きなシンガー なんで好きなのか解らない
目を閉じれば すぐ側にいた 確かに
出典: ディアマン/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
深夜放送のラジオを聴きます。
ロック少年の通過儀礼のようなものです。
毎晩、ラジオから流れる新しい音楽に興奮して寝付けない。
マテリアルとしてCDなどを買い漁るにはお小遣いが足りません。
少年たちはラジオで紹介された音楽から好きなアーティストを選んでゆくしかないのです。
ロック・ミュージックは今、少し斜陽になっています。
ミュージック・シーンがHIP HOPの出現などで一変してしまいました。
ラジオでオンエアされる音楽も変わってゆきます。
それでもロック・ミュージックの灯を消さないために様々なDJが奮闘しているのも確かです。
BUMP OF CHICKENのファンはもちろん彼らのロック・サウンドに惹かれています。
藤原基央自身がロック・ミュージックの灯を消さないためにこの歌詞を書いたのでしょう。
少年にはずっと追い続けていこうと思う大好きなボーカリストがいます。
なぜそのボーカルが好きなのかなんて理由は説明できないものでしょう。
ロック・ミュージックは感覚に訴える音楽ですから。
ラジオを聴いているときはもちろん、授業中などにも彼の声が聴こえるような気がする。
自分だけがそのボーカリストの本当の魅力を分かっている。
その理由はうまく説明できないにしても、自分はそのボーカリストの味方でもある。
触れたばかりのロック・ミュージシャンは少年にとって圧倒的な存在なのです。
ボーカリストに心を奪われる
自分の世界に没入
その声とこの耳だけ たった今世界に二人だけ
まぶたの向こう側なんか 置いてけぼりにして
出典: ディアマン/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
少年は好きになったボーカリストの声に没入してしまいます。
過去も今も音楽の虜になった人にとってはこの描写は共感できるはずです。
内面世界の基軸が憧れるロック・ミュージシャンのものになってしまうこと。
多感な少年期であるからこそ起こりうる事例です。
「ディアマン」という曲はロック・ミュージックに魅せられた人にとって馴染み深い世界を描いています。
実際の世界よりも自分の内面世界の方が豊かで彩りがあると錯覚してしまうこと。
それは少年期に固有の現象でしょう。
大人になると否応なく社会との適合性を問われてしまいますから内面への没入ができなくなります。
しかし豊かな想像力の羽ばたきに身を任せた経験のない人もまたそれはそれで貧しいです。
誰しもが成長するに従って社会との折り合いをつけていくことを強いられます。
少年期だけが自分と好きなものとの会話だけで生活してゆける貴重な時間です。