“Holy”は「神聖なる」という意味の他に「こいつは驚いた」というスラングの意味もあるようです。
スラング発生の歴史を考えるに、西欧において神の時代が終わりを告げたことがあるかもしれませんね。
西欧では長く、そして広大にキリスト教が信仰されてきたのは周知の事実でしょう。
しかし科学の発展にともないその信仰は薄れてしまいました。
哲学者ニーチェの有名な言葉「神は死んだ」とはそのことを指しています。
厳密にはもっと別の意味があるようですが、おおよそ間違いではないでしょう。
西欧人にとってはこの過去があることで「神聖なもの」にはアレルギー反応が起こるのかもしれません。
強く信じていたものが嘘だった。
その体験が人々に苦い思い出として残っているわけです。
ですから、“Holy”という単語は嘘っぽいものに出会ったときに使われるようになったかもしれません。
カッコーの巣の上で
カートは何かを返されたようですが、それは人としての尊厳でしょうか?
もしかしたら、神のような存在に何か大切なものをはく奪されていたーー
それがようやく返還された、ということでしょうか。
そのおかげで彼女のもとへ「融合するために」「共同体になるために」通えるというわけです。
つまり、自由が奪われていたのだと考えることもできそうですね。
先ほどのロボトミー手術と関連付けるなら、次のような想像もできます。
それは映画『カッコーの巣の上で』。
暴れん坊の主人公が精神病扱いされ、最終的に脳を切り取られて廃人にされてしまう話です。
ヒッピーのような行き過ぎた自由には賛否両論ありますが、人の尊厳とは何か?が描かれています。
彼も劇中で尊厳と自由を奪われた人でした。
有名な作品ですし、カートがこの作品を意識していた可能性は十分にあります。
キーワードは人間としての尊厳
自己の尊厳
In our whole fleece shun in bastard
Don't feel guilty master writing
俺たちのなかのフリースたちは雑種を避ける
罪を感じずに書くことを覚えるんだ
出典: Downer/作詞:Kurt Cobain 作曲:Kurt Cobain
“fleece”は主に「羊毛」という意味ですが、“sheep”ということを言いたいのかもしれません。
“sheep”であれば「羊」とか「気弱な奴」という意味です。
常に群れていて、気が弱い存在、それが羊という動物。
それでも“bastard”、「雑種」や「まがい物」にはなりたくないんだ、という決意表明です。
弱い存在であれ、自分は自分だという、これも尊厳に関わる話題であると思われます。
カートからの提案
そんな自分という受け入れがたい存在において、まずは罪の意識を捨て去ること。
自分を自分で責めてばかりいてグジグジしていても、前に進むことはできません。
そこでカートからの提案があります。
それは「書くこと」。
きっとソングライティングのことでしょう。
実際に彼はそうすることで自分や自分を取り巻く世界と戦ってきたのですから。
第3・4パラグラフの解説
武器としての言葉、そして歌
Somebody said that their not much like I am
I know I can make enough up the words
As you go along I sing then song
彼らは俺と違うんだとみんなから言われる
俺はそれに十分言い返せる言葉があると知っている
お前がそれに沿って進んでいくように
俺はそのときの歌を歌う
出典: Downer/作詞:Kurt Cobain 作曲:Kurt Cobain
他者との関わり合いのなかで、孤独な思いをすることが多かったであろうカート。
それは幼少の頃から彼の重大なテーマでした。
それで彼はどうしたかというと、自分の言葉を鍛えた。
もうこれ以上、他者に自分の尊厳を奪われないために。
他者、あるいは社会と戦う手段として彼は言葉を選んだのです。
そしてそれを大音量の音楽に乗せて歌いました。
彼の言葉は小説などではなく、すぐに歌になっていったようです。
世をはかなむ
Sickening pessimist hypocrite master
Conservative communist apocalyptic bastard
うんざりするような厭世主義と偽善者たち
保守的な共産主義と破壊的な奴ら
出典: Downer/作詞:Kurt Cobain 作曲:Kurt Cobain