1. 失恋から「立ち直る意志」を歌っています。

三木たかしによる哀愁漂うメロディーに心を揺さぶられ、阿久悠の物語性が強い歌詞は映像的で、「津軽海峡・冬景色」はわずか一行で、主人公を上野駅から青森駅まで連れて行ってしまいます。 石川さゆりの透明な、切ない歌声は、故郷への懐かしさと社会情勢の困難さが重なって多くの人の心に響いて行ったのだと思います。

2.日本の歌の主人公は、北へ北へと目指す歌が多いのです。

北国のイメージは、北へ行くほど風景は厳しく、生きるために心を凍らせて、独りうずくまる。来る春を信じて耐えて生きる姿が、日本人のノスタルジアなのかもしれません。

3.「北」の意味を探索してみます。

・「北」の字の右・左のパーツをよく見てください。 これは、「人」がお互いに背中を向けて、立っている様子を象った(かたどった)  ものなのです。

実は「北」には、「にげる」という、表記外の読み方があります。「敗北」は、戦いに負けて敵に「背中」を見せて逃げるこという意  味が出てきます。

・歌の中の孤独な主人公がなぜ北を目指すのか、少し理解できる気がします。

若き日の石川さゆりさんの切ない歌声が、多くの人の共感を得て行ったのです。

4.1973年~1978年の日本の「社会的」状況

 第一次オイルショック

1973年10月6日に第四次中東戦争が勃発。原油公示価格が翌1974年かけて、1960年代のバレル当たり2ドル、直前価格の3ドルか ら12ドルへ引き上げられたのです。 

・石油価格の上昇は、日本でも、便乗値上げが相次ぎ、急速にインフレが加速。戦後初めて、マイナス成長を経験し、戦後続いていた 高度経済成長がここに終焉(しゅうえん)を迎えたのです。 

・トイレットペーパーや洗剤などほとんどの物資の買占め騒動、デパートのエスカレータの運転中止などの社会現象も発生しました。

また、省エネ対策の一環としてネオンの早期消灯やテレビジョン放送の深夜放送休止などの処置が取られました。

 第二次オイルショックが1978年のイラン革命により、もたらされました。 

・第一次・第二次「オイルショック」の影響で、企業も生産制限を実施し、「出稼ぎ労働者」が最初に解雇され、多くの企業でリスト ラが実施されました。

行き場を失った多くの人たちは、絶望感を抱いて故郷に戻っていったのです。

石川さゆりはここで、オイルショック時代の空気、冬といった季節感までを歌で表現し、そして様々な敗北から立ち直る意志を「私 は帰ります」と歌い、多くの人の共感を得て行ったのです。

心を震わす「津軽海峡・冬景色」の歌詞を読み解く!

若き女性が、上京し、愛する人とめぐり会いながら別れを余儀なくされます。傷ついた女心だけではなく、失恋から立ち直る意志を「私は帰ります」と歌った主人公の独白として歌詞を読み解いていきました。

① 「駅」

上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は、雪の中

北へ帰る人の群れは誰も無口で
海鳴りだけを聴いている

私も1人 連絡船に乗り
こごえそうな鴎見つめ 泣いていました
ああ津軽海峡冬景色

出典: https://twitter.com/cement_mask/status/682595735246782464

北海道から東京に就職で上京した主人公は、働き続け、習い事もしていました。付き合って6年間、将来、IT企業を立ち上げたいという彼の夢のために出来ることは全てやりたいと思いました。 

楽しい日々が続きました。でも、この1年ほど、会う機会もだんだん減り、連絡するたびに「仕事が立て込んでいる」という話なのです。変だと思いましたけれど、信じ切っていました。

偶然でした。主人公の誕生日の日、いつも祝ってくれるのに、「大阪出張が入っている」という話でした。その話をした親友が食事会してくれるというのです。 主人公は、以前彼が1回だけ連れて行ってくれたイタリアレストランに行きたいと言いました。 

そのレストランに入ったとき、主人公は心臓が止まるかと思う事態に遭遇(そうぐう)したのです。彼が、美しい女性とワインで乾杯している姿でした。親友も彼に気付き、逃げるように二人で店を後にしました。 

悲しいという言葉も苦しさも主人公には遠い言葉に聞こえました。錐(きり)で心臓をえぐられるような激痛が心と身体中を駆け巡りました。 彼からは、たまに“元気か?俺は超忙しい!“時間が出来たら、連絡する”というメールが入りました。静かにこの1年の出来事を考えてみると、彼の心が離れていたことを感じたのです。

彼は、言葉と態度で、それを示していたのに主人公が信じ切っていたかったのです。 泣いて、泣いて、どれほど泣いたのでしょうか。人は、愛する心は誰も止められないと思いました。彼からのメールは途絶えて行きました。 主人公は、心を決めて、思い切ってメールをしました。“明日午後7時、いつものカフェで待ってます。必ず来てください。大事な最後の話です。 

翌日、時間通り彼は来てくれました。 “大事な話って何?”

“私、会社辞めて、北海道に帰りたいと思っているの。父が、お見合いを進めてくれているし、どうしようかと思っているの。でも、帰りたいと思っているのでそれを伝えたくて!” 長い沈黙が続きました。彼は、おもむろに口をあけました。 “ごめん!俺は口ばっかりで申し訳ないと思っている。ただ、君に不満などない。ただ、俺には君が重すぎた。君が、立派すぎて受けきれなかった。君を追い詰めたのは、俺の責任だ。” “この際、はっきりさせないと君を更に不幸にしてしまう。今まで、こんな俺に付き合ってくれてありがとう!”彼の両目から、滂沱(ぼうだ)の涙が流れていました。 そして、上野から北海道を目指したのです。

② 「慕情」

ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
見知らぬ人が指をさす

息でくもる窓のガラス ふいてみたけど
はるかにかすみ見えるだけ

さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする泣けとばかりに
ああ 津軽海峡冬景色

出典: https://twitter.com/gotouchi_songs/status/859593763194257408

青函連絡船に乗って、青森から函館まで、航海時間は3時間50分です。風雪の青森の竜飛岬が見えません。船の窓は、強い風にたたきつけられています。 

この悲しみは何なのでしょうか!この苦しさは、どうすればいいのでしょうか。

あなたへの「慕情」は深まりゆくばかりです。でも、今の私には「愛すること」も許されないのですね。

“お母さん!私は帰ります。強くなって帰ります。