五木ひろしについて
デビューは1964年。なかなか芽が出ずに、迷走し続けます。過去の芸名は松山まさる、一条英一、三谷謙・・・・・・芸名を転々とする中、迷いながらも何とか売れる術を模索していきます。
五木ひろしと名乗るのは1971年3月のこと。新しい芸名でミノルフォンから再デビューを果たします。
苗字の「五木」は、当時五木ひろしをバックアップしていた作詞家の山口洋子が、小説家で作詞も手掛けていた五木寛之から頂戴しました。
また、語呂合わせで「いいツキをひろおう」という意味も込められているとか。
それもあってか、再デビュー・シングルの『よこはま・たそがれ』はオリコン・シングル・チャートで、最高位1位、登場週数46週、65万枚に迫る売上げを記録します。
また名だたる音楽関係の賞も受賞し、悲願のNHK紅白歌合戦(第22回)への初出場も果たしたのです。それからの紅白出場は、皆さんもご存じの通り、連続出場を重ねていきます。
五木ひろし、古希になる
『山河』について
『山河』(さんが)は、2000年4月26日リリースのシングル。まさに、人生を山河に見立てた楽曲です。
作詞・小椋佳、作曲・堀内孝雄という名曲をそれぞれ持ったアーティスト二人により作られたこの楽曲、相当思い入れも深かったのでしょう、それぞれがセルフカバー版を発表しています。
五木は、2000年の『第51回NHK紅白歌合戦』の白組トリ&大トリで歌唱しました。
『山河』誕生秘話
この楽曲にも誕生秘話があります。そもそもは五木ひろしが口火を切ったことからこの楽曲が動き出したと言ってもいいでしょう。楽曲のコンセプトは「2000年というミレニアムの年にふさわしい楽曲」。
ということで、『愛しき日々』(紅白で3回もトリで歌われた楽曲、1986年作)でタッグを組んだことのある堀内孝雄と小椋佳に白羽の矢が立ったようです。
この楽曲については、ベーヤン(堀内孝雄のニックネーム)もその誕生秘話を次のように語っています。
「小椋佳さんが詞を書き、僕が曲を書く前からハワイの別荘ご近所さんのウチの山﨑(アップフロント・グループ会長)と五木さんの間で作品構想が練られていたんです」
出典: http://www.muse.dti.ne.jp/~squat/kf13.htm
2000年開催の『第51回NHK紅白歌合戦』。白組のトリと紅白歌合戦の大トリは、30年連続出場を達成した五木ひろしでした。
ここまでは先ほど話したとおりですが、五木は美空ひばり以来2人目、白組歌手では史上初の10回目のトリ担当となったのです。
「紅白のトリ」はいわば年末総決算の歌番組、それも大看板の“顔”にあたるわけですからかなり名誉なわけ。
この偉業をたたえるべく、どうしても楽曲は『山河』でなくてはならなかったわけなのですね。
ちなみにこの2000年の紅白歌合戦のとき、ベーヤンは谷村新司、矢沢透とともに「アリス」として初出場しているのです!
大ベテランの五木に楽曲提供をしている堀内。大トリの歌手・五木と、初出場のグループ・アリスのベーヤン。不思議なコントラスト、不思議な因縁です・・・・・・。
『山河』 こんなにもカバーされています!
人生を山河にたとえたこの楽曲、多くのアーティストの共感をよび、カバーされまくっています。
歌いたくなるのでしょうね。それぞれの人生に向けた楽曲、味わいもまたそれぞれ独特です。聞いて吟味してみるのもいいかも。
↓↓カバーしたアーティストたち