バージョン違いが楽しめるサカナクション「セプテンバー」
サカナクション7枚目のアルバム「834.194」は6枚目のアルバム「sakanaction」から約6年ぶり。
しかも約3か月の発売延期を経て、2019年6月にようやくリリースされました。
山口一郎さんは「アルバム出す出す詐欺」と自嘲されていましたが、作詞に関して悩まれたとのこと。
待ち焦がれた2枚組アルバムのラストを飾る曲が「セプテンバー」です。
北海道の小樽出身で札幌の中学校、高校に通っていた山口一郎さん。
前身バンド「ダッチマンtheサンコンズ」(後にダッチマンと改名)を組んでいた高校時代に作られた曲です。
アルバム1枚目には「東京 version」、2枚目には「札幌 version」が収録されています。
■セプテンバー -東京 version-
札幌時代に作られた楽曲をリアレンジしたもの。
■セプテンバー -札幌 version-
札幌時代に制作された楽曲を、当時に近いアレンジで録音したもの。
札幌時代っていうのは(中略)作為性のないものを作っていたんですよ。それが東京に出てきて、作為性みたいなものを手に入れて、無作為をどう作為的に作るかっていう……技術ですよね。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/834.194
作詞作曲は同じですが、バージョンによって違うのはアレンジ(編曲)。
- 東京 version:作為的無作為
- 札幌 version:無作為
山口一郎さんは「作為、無作為」という言葉を使って説明されています。
例えば、今日は楽しい気分だから赤いスカートを履いた。
これは「無作為的」な選び方です。
ところが、就職活動で面接官に好印象をもってもらうために黒いスーツを選ぶと「作為的」です。
さらに、黒いスーツを選ぶと作為的だとわかりつつ、少しずらしてダークグレーのストライプスーツを選ぶ。
ギリギリのラインで好みも入れているところが「作為的無作為」です。
大ざっぱな例ですが、音楽制作でも同じようなことがいえるでしょう。
例えば、シングルやタイアップ曲だからと意図せず、作りたい音楽を作る。
作為的な技術を手に入れたうえで無作為な原点に立ち返ろうとしています。
そんな違いがわかるこの曲。
アレンジの違いによって、曲の構成も変わっています。
「札幌 version」は「Aメロ→Bメロ→Cメロ(サビ)」という王道の流れ。
「東京 version」では同じ流れのまま、頭にサビが追加されています。
この頭サビも作為性の1つ。
ライブ映像集「SAKANAQUARIUM 2019 "834.194"」にはアコースティックバージョンが収録されています。
今回は「札幌 version」の流れで歌詞を見ていきましょう。
1番の歌詞をチェック
思春期はつまずきがち
転んで 足元 つばを吐いた
古傷くすぶっては 腹を立てた
自信 疑心 欲に幸
全てグッと抱いては
曇り空の下で
湿った風仰いでた
出典: セプテンバー -札幌 version-/作詞:Ichiro Yamaguchi 作曲:Ichiro Yamaguchi
意図的に作られた曲ではないという山口一郎さんの説明を踏まえると、主人公は等身大のご自身。
実際に道を歩いていて足を滑らせたのかもしれませんし、比喩的な表現とも考えられます。
17歳の高校生は思春期真っ盛り。
失敗して毒づくこともあるでしょう。
立て続けにつまずいていたなら過去の痛みが癒えていないと解釈できます。
まだ若いのに過去の傷がうずくような表現をしているところは思春期特有の背伸びかもしれません。
すっかり大人になったつもりでいるのに、イライラしてパンクな気持ちになりがちです。
恐らくやりたいことや欲しいものがたくさんあって高揚したり落ち込んだりを繰り返しているのでしょう。
風景描写から、決して晴れやかな気分ではなく、どんより泣きたい心情に駆られている様子が伝わってきます。
「それもいい」の意味
僕たちは いつか墓となり
土に戻るだろう
何も語らずに
済むならばいいだろう
それもまあいいだろう
出典: セプテンバー -札幌 version-/作詞:Ichiro Yamaguchi 作曲:Ichiro Yamaguchi
サビです。
どこぞのご老人がおっしゃっておられるのかと言いたくなるような達観した人生観が綴られています。
ただ、先ほどまでつまずいて毒づいたり、過去の痛みに向かって怒ったりしていました。
明るい気分ではなく、本当は言いたいことがたくさんあるはずです。
それでも期間限定の命に着目し、イライラしても仕方がないと諦めの境地に達したのかもしれません。
とはいえ実際は10代の青年が考えていることです。
長い人生のなかでも生命力にあふれた思春期にこそ、人生の意味や死生観について思いを巡らせるもの。
逆に、若さ特有の大人びた考え方といえるかもしれません。
「それもいい」というキーワードはこれからもたびたび登場します。
本音をそのままストレートに吐き出さなくてもいい、という意味でしょう。
既に「作為と無作為」のヒントが表れていると解釈することもできます。
この点にも着目しつつ、続きを見ていきましょう。
2番の歌詞をチェック
人生の寄り道と本筋
心が貧しくなってたんだ
だからさ 道草食ってたんだ
出典: セプテンバー -札幌 version-/作詞:Ichiro Yamaguchi 作曲:Ichiro Yamaguchi
1番冒頭のネガティブな思いについて、自分を見つめ直している感じです。
何かに失敗して傷つくことはあくまでも人生の寄り道であって、本筋はサビのような達観した考え方。
そんなメッセージが伝わってきます。
大地に関連する言葉を続け、現実に根ざした生き方をするグラウンディングを示唆しているのかもしれません。