「聖者の行進」は4thアルバム「ラブストーリー」収録
アルバムのトップを飾る非恋愛ソング
「聖者の行進」は、2014年3月にリリースされた、back numberの4thアルバム「ラブストーリー」に収録されたナンバー。
アルバムの最初の曲です。
アルバムの1曲目というのは、そのアルバムのコンセプトを象徴するようなナンバーを持ってくるか、もしくはアルバムをストーリーとして考えた場合、その発端にふさわしい曲を持ってくるもの。
アルバムのタイトルは「ラブストーリー」ですから、男女の恋、またはその出会いを描いたスイートな心理や情景がイメージできるようなラブソングが1曲目と思いがち。
ところが「聖者の行進」はそれらとは全く違う。
恋バナとは正反対の、恋愛ではない、シビアなある状況を歌っています。
ひと言で言えば、心情があふれ出たメッセージソングというか、プロテストソングというか。
それをこれから解説していきましょう。
Vo.清水依与吏が見すえるドライでシビアな大人社会
管理された社会の中のちっぽけな自分
さっそく歌詞を見ていきましょう。
背の高いビルを避けて僕らの行進は続く続く
列を乱さぬようにはみ出せば踏みつぶされてしまう
心の中で何度も間違ってる叫んでも
出典: 聖者の行進/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏
「背の高いビル」はさしずめ、都会の巨大企業や官庁街をたとえたものでしょうか。
高くそびえ立っていて、冷たくドライな巨塔。
それはどこか人を寄せ付けないような外観で、そこに吸い込まれていく人々には表情がない。
そうした人々になりたくない、と「僕ら」は行進する。
しかしその行進はある一定の列を進むように出来ていて、なんらかのアクシデントで列から外れると途端に踏みつぶされて、消滅してしまう。
「僕ら」が「心の中で何度も間違ってる叫んでも」、列を乱すと消されるのです。
これらのフレーズは、現代社会の論理や会社のルールに従わない者は、「抹殺する」ということを暗示しています。
1960~1970年代のプロテストソングのような歌詞
こういう冷たくて理不尽な大人社会への抗議を歌った歌というのは、結構あります。
尾崎豊は1980年代から1990年代の代表で、最近では制服向上委員会あたり。
しかし尾崎豊よりも前、学生運動が盛んだった1960年代から1970年代にはこうした社会的なメッセージを持った歌が流行っていました。
岡林信康や加川良といったフォークシンガーや、忌野清志郎のようなロックシンガー達です。
彼らはカウンターカルチャー(反抗文化)を育て、大衆をあおるような役目を担ったもの。
そういう社会への反抗を唱えた歌をプロテストソングといいますが、そうした生真面目で重い問いかけが「聖者の行進」にもあるのです。
だから一聴して「おっ」と思わされます。
シビアな管理社会の中を生きる「僕」のとまどい
サビで盛り上がるストリングスの響きが快感!
続いて
冷たい雨と分厚い壁が また僕に手招きをしている
辛い思いはしなくていい 僕の弱さにつけ込んで
目の前全部ぶち壊せたら その勇気があれば
正しいと思う事だけを 歌って描いて息が止まるまで
出典: 聖者の行進/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏
列を乱さぬように行進する「僕」の前に、「冷たい雨」が降り注ぎ「分厚い壁」が立ちふさがる。
その「分厚い壁」は、おいでおいで、と「僕」を「手招きしている」。
一個人では立ち向かえない巨大な社会が、「僕」に“おいしい”誘惑を差し出して、取り込もうとする。
「弱さにつけ込」まれた「僕」は、目の前の誘惑も巨大な社会も全部ぶち壊せたら、と思う。
けれど、それはできないので、せめて自分は自分が信じることを歌って、理想的な社会像を描いていくしかない。
「息が止まるまで」は、単純に考えると“死ぬまで”ということでしょうか。
そうなると、「僕」は自分が信じる理想的な世界を死ぬまで描き続ける、ということになります。
この歌の主人公の「僕」は、ものすごく思い詰めているようです。
この思い詰めた重いサビを、快感が突っ走るようなサウンドにしているのは、バックでグァーンと盛り上ってくるストリングスの響きです。
これがたまらない疾走感をこのサビにもたらして、パセティックなグルーヴのまま一気にフィニッシュまで駆け抜けていきます。
頭痛が直って頭がスゥーッと軽くなるような感じがして、ここ、シビレます。