大人気!NEWSの加藤シゲアキとは
加藤シゲアキ:1987年7月11日生まれ。大阪府出身
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E3%82%B7%E3%82%B2%E3%82%A2%E3%82%AD
基本的なプロフィールをチェック
NEWSの一員として活動する加藤シゲアキさん、生まれは広島県広島市ですが、4歳で大阪に、10歳で神奈川県横浜市に引っ越しています。
身長175cmと、成人男性としては平均的ですね。血液型はA型で、左利きだそうです。
小学校を卒業後は青山学院中等部学校へ進学、その後エスカレーター式に青山学院大学へ進学し、法学部法学科を卒業します。
小学校時代はシゲ、シゲちゃんと呼ばれていましたが、中学校以降は名字で呼ばれることが多く、大学に入るとシゲさん、ナリフィスと呼ばれるようになったようです。
なおツアーの時はシゲじぃと呼ばれています。
お姉さんが1人おり、Kis-My-Ft2の横尾渉さんからもらったメスのミニチュアダックスフント、2匹の金魚を飼っています。
得意科目は暗記を中心とした教科で、高校時代は世界史や地学で10段階中10の成績を収めていたそうですよ。
性格を知りたい!詳しく教えて!!
加藤シゲアキさん、写真を見るだけでもそのかっこよさが伝わってきますが、性格も知りたいですね。
そこで生年月日から基本的性格を占い、さらに周囲からの評判も探ってみました。
生年月日から占う基本的性格は?
加藤シゲアキさんは7月11日生まれ、クールな印象を漂わせる人が多いようです。確かに写真を見ても「クールだな」と思わされますね。
また青山学院大学出身を裏付けるように、頭脳派が多い誕生日だそうですよ。頭の回転が速いんだそうです。
会話の内容が不足することもなく、異性を魅了するような話題づくりもできる人。周囲の様子を見ながら状況判断ができるようですね。
基本的には一人でいることを好みますが、人とかかわることは得意な世渡り上手ともいわれていますよ。
加藤シゲアキさんが生まれた1987年は世界の人口が50億人を超えた年です。日本の新聞でも大きく取り上げられました。
ちなみに人口50億人突破が分かったのが7月11日、つまり加藤シゲアキさんの誕生日なんですよ。
同い年の著名人には東方神起のジュンスさん、俳優の市原隼人さん、Kis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔さんらがいらっしゃいます。
7月11日生まれの方では歌手の藤井フミヤさん、モデルで俳優の坂口健太郎さんらがいらっしゃいますよ。
周りからの評判をチェック
加藤シゲアキさんがどんな性格なのか、中には「悪い」という人もいるようですが、本当のところを調べてみました。
すると真面目という性格を上げる人が多くみられました。これはコツコツと真剣に好きなことをやり続けることからもわかります。
加藤シゲアキさんは釣りが趣味で、テレビや雑誌のオファーを受けることもあるそうです。嵐の大野智さんとも釣りという共通の趣味を通じて仲良くなったんですよ。
もう一つ性格をあげると、ナルシストがあります。これは山下智久さんが「救いようがない」というほどです。
メンバーからは鏡を見るのが好きと突っ込まれますが、加藤シゲアキさんは「誰も褒めてくれないから自分で自分をほめる」と返しています。
ただ人見知りでネガティブ思考な部分もあるようですね。
特に人見知りについては、ショップやジムで聞きたいことが聞けない、子供相手にアプローチできない、出前の電話ができないといったことがあるようです。
その反面涙もろい一面も持っており、映画を見て泣いたり、ドキュメント番組を見て泣くんだそうですよ。
そんな加藤シゲアキさん、ファンを大切にすることでも知られています。
親子でライブに行ったところ、おばさんが来るなといわれた女子高生がラジオで相談したときのことです。
加藤シゲアキさんは女子高生の悩みに「そう発言したお前が来るなという話」と答えました。
ほかにもいじられキャラ、おっちょこちょいといった性格もあるようです。
小説家!?もう一つの顔に迫る
小説家を目指したきっかけ
小学校6年生でジャニーズ事務所に入所した加藤シゲアキさん、相当の努力をして今の地位を得ています。
そんな加藤シゲアキさんのもう一つの顔が小説家なんですが、これは加藤さんがNEWSの中で存在感が薄いということに理由があるようです。
自分から仕事やると申し出ても、「加藤はいい」と事務所関係者に一蹴されたこともあるんだとか。
そうするうちにだんだんと情緒不安定になり、不安感、危機感を持つようになります。
しかし加藤さんはジャニーズ事務所に入ったとき、中学受験と重なり休業、その後連絡を取ろうとしても無視され続けた経歴を持っています。
その後粘り強く連絡し続け、ジャニ―喜多川氏の理解を得て櫻井翔さんを紹介してもらうなどして、今の地位を得ているのです。
ですからこれも試練と思い、書くことならだれにも負けないと小説家への道を歩むことになりました。