野田洋次郎の子守唄『夜の淵』
今回ご紹介する曲はRADWIMPS『夜の淵』。
発売はいつ?収録アルバムは?探した方が少なくないでしょう。
この曲は、そしてこの曲と同様に2012年以降の3月11日前後に発表された曲はCDに収録されていません。
ろうそくの炎のような静かな希望
『夜の淵』は2011年の東日本大震災を含む様々な災害の被災者、あるいは未だに被災し続けている方に向けて制作されました。
公式サイトで野田洋次郎は、自らの非力さやこの曲に込めた穏やかな思いを綴っています。
音楽には、被災者の不安な心を完全に取り除くはありません。
しかし野田洋次郎の語りかけるような歌声には、大きな手のひらで背中を擦ってくれるような優しさがあります。
そしてこの曲の歌詞は「頑張ろう!」の押し売りではなく、誰にでも見えるささやかな希望を歌っています。
昨年地震が起きた夜、停電で真っ暗な中SNSなどで恐怖と闘いながら朝を待つたくさんの声を受け取りました。あいも変わらず何もできない自分にもどかしさを感じながら、せめて子守唄に、ほんの少しの心の安らぎになったらいいなと思い今回の曲を作りました。そこにさらに歌詞を加え、編曲し、レコーディングしたものが今回の曲です。
誰かを思った瞬間、火が灯る
この曲のタイトルは『夜の淵』。
災害に直面した人々にとって「夜」はどのような意味を持つのでしょうか。
「絶望」ではなく「夜」の淵。そこに大きな希望が宿っています。
誰かの言葉が光を灯す
静かな 夜の淵
出典: 夜の淵/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
災害による停電は、いつ復旧するのか分かりません。
いつもは人通りの絶えない繁華街のネオンが消え、信号が消えた道路を走る車もないはずです。
真っ暗な避難所、真っ暗な家の中で余震に怯える人たちが沢山いました。
声を出したら余震がこちらを向くのではないか、そんな気さえして息を潜める静かすぎる夜です。
これは停電に限らないのではないでしょうか。
いつ終わるのか分からない仮設住宅での生活だって、先が見えない暗闇にいるようなものです。
暖房や冷房、食料だって不足しない日々を過ごせても、災害に強要された生活ではないでしょうか。
作り上げてきた日常が崩れたのにもかかわらず「自分たちは大変なんだ!」と口に出すことが許されません。
生きているだけ幸せだ、という考え方もあるでしょう。
しかし「幸せに生きている」とは限らないのです。
真っ黒な 空にぽつり
ひとつまた ひとつ光る
あれは いつかの光
出典: 夜の淵/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
光が絶えた町に電気が供給された瞬間の映像をご覧になったことはありますか?
繁華街では比較的時差もなくいたるところの電気が点きます。
しかし住宅街では、光る水滴を落とすようにぽつりぽつりと電気の「点」が増えていくのです。
もちろん点と点の間隔は短いため、あっという間のように感じます。
それでも歌詞にある通りの光景が繰り広げられているといえるでしょう。
そして電気とともに灯るものがあります。それは人々の「希望」です。
きっと希望の光は、数ヶ月前、数年前の災害のときにも生まれています。
希望の光が次なる光に連なったからこそ「今」があるのです。
では停電が長引いた場合には希望が生まれないのでしょうか。そんなことはありません。
暗闇が続いても、必ず太陽が光をもたらします。
「きっと明日は明るいよ」という誰かの言葉で、心の中に小さな希望が生まれることもあるはずです。
「夜」は必ず「朝」に繋がる
もう少しで 朝がくる
眩しいほどの 光連れて
出典: 夜の淵/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
地球が回り続ける限り、太陽が燃えている限り朝と夜は必ず入れ替わります。
両者の境界が曖昧だからこそ空は徐々に明るくなっていきます。
その神々しい光景に人々は心を揺さぶられるのでしょう。