日本人には個性が足りない、という海外からの評価をよく耳にします。

確かに、日本では周囲に合わせることや空気を読むことが良しとされる傾向です。

出る杭は打たれるという言葉もあるぐらい、突出した何かは自分を突き刺す危険性をはらんでいます。

しかし、あえて「個性派」を目指す人も一定数いるのです。

皆がしないファッション、誰も乗らない車、喋り方や考え方を「意識的」に取り入れます。

例えば誰も興味がないマイナーな趣味を持ったとしましょう。

それを趣味としている人は少ない、つまり母数が少ないわけですから、先駆者になれるかもしれません。

ネットで有名になるかもしれません。

この曲の「私」は、個性を主張することで周囲より突出した存在になりたいと思っていたのでしょう。

借り物の個性は身につかない

人とは違う私はナニヒトツ困っていない
でも私わかってたの
"ナニヒトツ持っていない"

出典: ANIMAL ZONE/作詞:Saimoto Yoshiro 作曲:Saimoto Yoshiro,Watanabe Syunya

幸運なことに、「個性派」として生きている彼女を「出る杭」と認識している人はいないようです。

人は自分の持ち物や考え方を他人と比較して、同じものを持っていれば安心感を得ます

もしもあまりにも異なるものを持っていたら、自分が間違っているのではないかと焦るのです。

一方、彼女はどうでしょうか。

周囲と違うものしか持っていないとしても、焦ることはありません。

人とは違う考え方を持とう、人とは違う趣味を持とうと決めたのは彼女なのです。

しかし、堂々とした主張の裏側で彼女は自分を客観視していました。

人とは違うものを沢山持っているはずなのに、冷静になれば何もありません。

夏物のスカートを穿こうと思ったのは、どうしてもその柄のスカートが穿きたかったからではありません。

夏を先取りしている個性派だと思われたかったのです。

人と違う趣味を持ったのも、強く興味を惹かれたからではありません。

珍しい趣味を持つ個性派だと思われたかったのです。

彼女は、本当の意味での「個性」は持っていません。

「目立っている」という勘違い

列からはみ出すことで人の注目を集めることができるのでしょうか。

あの人は個性的だと思われるか、ちょっと変わった人だと思われるか。

はたまた誰も見ていないか……。

自由奔放を装う

夜に鳴く蝉みたいに
待てず 私 生き焦っていて
うるさいってわかったって今日もいこう
初めっからでさっぱりしよう

出典: ANIMAL ZONE/作詞:Saimoto Yoshiro 作曲:Saimoto Yoshiro,Watanabe Syunya

ここ数年は夏の夜の気温が高く、夜も鳴き続ける蝉がいるかもしれませんが、本来蝉は夜に鳴きません

蝉が鳴くのは求愛行動。少しでも早く子孫を残すために焦った蝉は、夜にも求愛するのかもしれませんね。

彼女もまた、朝を待ちきれずに人生のコマを進めようとします

例えば誰も出歩かないような真夜中に外出してみたり。

真冬に花火をしてみたり。

彼女にとって「自由奔放な人=個性的な人」なのかもしれません。

人の迷惑になるかもしれないけれど、それすらも個性がもたらした結果としか感じないのでしょう。

人の迷惑なんて鑑みなかった頃を思い出し、いつものように個性を振りまきます。

他人と足並みを揃えたことに言い訳?

軒下に傘はない 私 何を待ってるの
春らしくないスカートと丈のせいかな

出典: ANIMAL ZONE/作詞:Saimoto Yoshiro 作曲:Saimoto Yoshiro,Watanabe Syunya

突然の雨に見舞われた彼女は、慌てて雨を凌げる場所を探しました。

選んだのは軒下。ひとまず雨から逃れられたことに安堵したのでしょう。

ここでふと、自分の行動に疑問を抱きました。

雨がすぐに止むとは限らない。迎えに来てくれる人もいない。

もしかすると、辺りには同じように雨宿りをしている人が何人もいたのかもしれませんね。

そうした人々と同じ行動をしていることに気づいたのです。

自由奔放で個性的な人でありたいのなら、雨が降ろうとスキップで街を歩くこともできました。

「雨に唄えば」のように雨に打たれながら歌い踊ることだってできました。

しかし彼女が選んだのは、周りと同じ「雨宿り」。

そんな行動に至った自分に対して「薄手で短いスカートが寒かったから」と言い訳したのでしょう。

毒にも薬にもならない

誰かに誇れるようにと何かを求めて
個性を無理矢理と作ってさ
人とは違う私にダレヒトリ困ってない
でも私わかってたの
"ダレヒトリ私をみない"

出典: ANIMAL ZONE/作詞:Saimoto Yoshiro 作曲:Saimoto Yoshiro,Watanabe Syunya

意識的に個性派を装っている彼女。

心のどこかで「誰かに迷惑をかけていないかな」と不安になることがありました。

その度に初心に戻り、個性を振りまいて見て見ぬふりをしていたのかもしれません。

しかし彼女は今、自分の奔放さを迷惑に感じている人などいないのだと気づいているのです。

これは一見ポジティブな気づきのように思えますが、実は違います。

迷惑に思われていない=許してもらえている、ではありません。

迷惑に思われていない=誰も気に留めていない、なのです。

これほどまでに個性を振りまいているにもかかわらず、誰も注目してくれない

彼女はしっかり客観視していました。