明るいニュースを運んでくれた「SEKAI NO OWARI」
Saoriに第一子誕生!
昨年末の第68回NHK紅白歌合戦に出場、さらに今年に入ってからはNHK平昌オリンピック・パラリンピック放送のテーマソングを手掛けるなど、何かと話題のSEKAI NO OWARI。
NHK紅白歌合戦では紅一点のSaoriの姿が見えず、ちょっと寂しいと感じた方も多かったのでは。
でも、Saoriの代わりにNakajinがピアノを弾く姿など、レアなシーンも見られましたね。
そして、新年早々Saoriからは嬉しいニュースが飛び込んできました。年の瀬に、無事新しい命の誕生を迎えることができたということ。
暗いニュースも多い昨今、こんな明るくおめでたいニュースは嬉しい限りですね。おめでとうございます!
Saoriがまたステージに姿を見せてくれる日も、そう遠くはないかもしれませんね。楽しみです。
インディーズ時代のシングル「天使と悪魔」
バンド表記が”世界の終わり”だった時代
今回紹介する曲「天使と悪魔」は、シングル「天使と悪魔/ファンタジー」として2010年にリリースされました。
このころは、まだメジャーデビューしておらず、インディーズからのリリースとなっています。
メジャーデビュー前は、バンド名の表記は現在の”SEKAI NO OWARI”ではなく、”世界の終わり”でした。
発音は同じでも、表記が違うと随分と印象も異なってきます。
メッセージ性が高く、シリアスなテーマを扱うことも多い彼らですが、それでバンド名が”世界の終わり”だと、ちょっと重すぎる、ということになったのかもしれませんね。
ローマ字表記にすることで、ちょっとポップな感じが生まれ、発音しても頭の中にカタカナで”セカイノオワリ”と浮かびます。
”セカオワ”の愛称は、ローマ字表記にすることによって生まれたといってもいいのかもしれません。
”世界の終わり”だと、なかなか”セカオワ”とは浮かんでこないような気がするのですが、いかがでしょうか。
自転車で出かけた一週間の間に書かれた曲
この「天使と悪魔」は、Fukaseが事務所のスタッフに「恋愛の曲を書いてみろ」と言われ、「キュンキュンな恋愛の曲を書く!」と宣言して制作に取りかかったそうです。
宣言した後、なぜか自転車で一週間出かけたらしく、その一週間で制作されたという、ちょっとした制作秘話もあります。
結果、この「天使と悪魔」ができたわけですが、後ほどご紹介する歌詞をご覧いただけばわかると思いますが、あれ……「恋愛の曲」だったんじゃなかったっけ?ということに。
そのためリベンジとしてFukaseが「恋愛の曲」に再挑戦、そうしてできたのが同時収録されている「ファンタジー」です。
「天使と悪魔」深い歌詞の世界
ではここからは、気になる「天使と悪魔」の歌詞を見ていきましょう。
「いじめは正義だから 悪をこらしめているんだぞ」
そんな風に子供に教えたのは 僕らなんだよ
大人VS大人の正解・不正解のバトル
TVで子供らに教える「ダレが"間違って"るか」
正義のヒーローは悪党を倒すものだと
子供はTVをみて思う「悪は滅ぼさなきゃね」
もし僕が正しくて君らが間違いなら
僕らは戦う運命にあるの?
僕らはいつも「答」で戦うけど
2つあって初めて「答」なんだよ
出典: 天使と悪魔/作詞:深瀬慧 作曲:深瀬慧
正義VS悪。
戦いの図式は大体こうでしょう。
でも、その正義は誰にとっての正義なのか。そしてその悪は、誰にとっての悪なのか。
もしも立場が逆転したら、どうなるのでしょう。
あら不思議、正義は悪へ、悪は正義へと様変わり。
そういう、あいまいなものなのです。
立場や時代、そういったもので簡単に正義は変化します。
そして正義は、一つだけではありません。
数ある正義のうちのどれかが、誰かに、何かによって悪に認定される。
そして戦う必要などないのに、互いを滅ぼそうとするのです。
多数派=正義?
悪魔と天使の世界で あちらが正しいとか
こちらが間違ってるとか解らないんだ
「悪魔と天使」 僕らがどちらなのかなんてさ
解るはずもなければ解りたくもない
正義が支配する最悪な世界ではマジョリティーこそが
「正しい」とみんな「間違える」!?
「正義」を生み出した 神様 聞こえていますか
あんなものを生み出したから みんな争うんだよ
戦うべき「悪」は自分の中にいるんだと
「世界」のせいにしちゃダメだと僕はそう思ったんだ
出典: 天使と悪魔/作詞:深瀬慧 作曲:深瀬慧
”悪魔と天使”=”悪と正義”ということでしょう。
それぞれに、それぞれの言い分があります。そしてその言い分は、それぞれにとって、正しい。
正義と正義が戦って、負けたほうが悪になるのでしょうか。
元は正義だったはずなのに。
だから、どっちが正しいのかなんてわからないのです。
マジョリティー=多数派が、正しいのでしょうか。それは主張する声が大きいから?
小さな声は、かき消されてしまって聞こえない。気付いた時には異質なもの、悪とみなされる。
そもそも、正義なんていうものを定義しなければいいのです。
そうすれば、それぞれの正義を振りかざして人を傷つけることもないでしょう。
正義を定義づけるのは、自分の中。
そしてその正義に反する悪が、自分の中に芽生えた時こそ、戦うのです。自分自身の心の中で。