「僕の右手」とは
まず、THE BLUE HEARTSの「僕の右手」がどのような曲なのか概要についてご説明します。
1988年発売の3rdアルバム「TRAIN-TRAIN」に収録
「僕の右手」は1988年11月発売の3rdアルバム「TRAIN-TRAIN」に収録されています。
「TRAIN-TRAIN」「ラブレター」「電光石火」「青空」など、胸がアツくなる名曲が収録された名盤です。ちなみに「青空」は「あおいそら」と読むのが正しいそうです。
1stアルバム「THE BLUE HEARTS」、2ndアルバム「YOUNG AND PRETTY」からこのアルバムまでが「初期」という印象があります。
次のアルバムからは、レーベルが変わります。それも関係があるのかもしれません。もちろん、THE BLUE HEARTSはこの後のアルバムも名盤ばかりです。
YouTube動画を紹介
「僕の右手」のライブの動画を紹介しました。「だから」という歌詞で、会場が1つになっている感じがたまりません。
ライブで見たかったというファンも多いと思います。
彼らは、今とまったく変わらずに格好良いですよね。甲本ヒロトの痙攣するよう独特なライブパフォーマンスは衝撃的だと思います。
その当時、彼らをはじめて目にした方には、刺激が強すぎたのでしょう。NHKに出演した際には、問い合わせが殺到したというエピソードもあります。
モデルが存在する?
「僕の右手」には、モデルが存在すると言われています。その真相について、詳しく紹介します。
MASAMIがモデル
ハードコアパンクバンド「GHOUL(グール)」のボーカルであるMASAMIがこの曲のモデルだと言われています。
MASAMIは、小学生の時にダイナマイト遊びによって右手を失った片手のパンクロッカーです。
26歳でGHOULを結成し、80年代のアンダーグラウンドシーンで絶大な指示を集めました。
1989年にライブ中に倒れ、昏睡状態となります。そして、目覚めることはないまま、肺炎を併発して1992年に亡くなりました。
追悼ライブに甲本ヒロトも参加
MASAMIと親しかった甲本ヒロトは、5日間に渡って行われた彼の追悼ライブに「ザ青心会」として参加します。
その際に、「僕の右手」を泣きながら熱唱したと言われていますが、真相はさだかではありません。
ただ、この曲は彼が亡くなる前に作られていますので、それだけ彼のことを大切で尊敬できる存在と思っていたのは間違いないと思います。
2002年にはトリビュートアルバム「Tribute to MASAMI 汚れなき豚友達へ!!」が発売されています。
彼が、どれだけ周りから愛されていたカリスマだったかがよくわかりますよね。
このアルバムには、残念ながら甲本ヒロトは参加していません。大切な方を偲ぶ方法は人それぞれだと思います。
歌詞の意味を紐解く
次に、MASAMIがモデルになった「僕の右手」の気になる歌詞の意味を紐解いていきたいと思います。