なぜ紫陽花なのか
正しさでさえ色を変える事に
気付かない今が幾つも落ちて枯れた
このままでいいなんて思いはしない
すり抜ける確かさに追いすがる強く
出典: 紫陽花/作詞:京寺 作曲:ウル・眩暈SIREN
上記はラストサビの歌詞です。
紫陽花も様々な色があることから紫陽花は楽曲の中で「正しさ」を表していると考えられます。
正しさというのは人によって様々な考えがあるのに、それに気づかなかった。
自分だけの紫陽花の色(正しさ)が全てだと思っていたのでしょうか。
人の数と同じくらい正しさや正義にも違いがあるということを紫陽花の色で表現したという解釈ができます。
所々で出てくる「鏡」は?
MV中で少し不気味な雰囲気を醸し出している鏡。
MVの中だけではなく歌詞でも1回だけ「鏡」が使われています。
鏡は普通自分の姿を客観的に見ることができますが、「紫陽花」のMVは少し異様です。
鏡の中の自分だけが動いていたり、そもそも何も映っていない鏡もあります。
これは一体どういう意味合いがあるのでしょうか。
MVに出てくる鏡
MV序盤で鏡に映っているボーカルが勝手に動いているシーンが出てきます。
普通に怖いのですが、歌詞を見ると他人と自分を比較している内容です。
このことから現実に存在している他人と鏡の中から他人を比較する自分を表現していると考えられます。
自分自身が鏡の中というのが非常に皮肉っぽいです。
2番でボーカルが持っている鏡は何も映っていないことから中身が空っぽだと連想できます。
歌詞に出てくる鏡
迫る朝に目を背けても
暴き出された姿を見ては声を失う
そこには自分を映す鏡は無い
出典: 紫陽花/作詞:京寺 作曲:ウル・眩暈SIREN
曲が終盤の頃に「鏡」というフレーズが出てきます。
この歌詞から鏡を見なくても自分の姿(本心)に気づいたと解釈。
MVでは演奏シーンと共にメンバーが順番に映し出されています。
サビ手前では一瞬ドラムの姿を反射させた鏡も。
鏡はあるけどもう見ていない、他人と自分を見比べるのを止めたと考えられます。
1番サビの枯れた紫陽花が表す意味
1番サビ手前ではボーカルが持っている紫陽花に色がありません。
またサビのMVで花びらが地面に散っていることから枯れていると解釈できます。
これが表す意味は一体何なのでしょうか。
「届かない声」を紫陽花で再現
鮮やかに滲む 行き交う人の影に
届かない声は幾つも落ちて枯れた
このままでいいなんて思いはしない
なのに流れてくものを止められない
出典: 紫陽花/作詞:京寺 作曲:ウル・眩暈SIREN
淡い青色の紫陽花は鮮やかな色たちの中で混ざってもあまり分かりません。
そんな中で声(色)を出したって他人には届かない。
届かなかった声が枯れている紫陽花に見立てられているように解釈できます。
では届かない声とは?
紫陽花が「正しさ」を表しているという解釈だと、自分の正義が他人に届かなかった。
自分の気持ちや意見を「声」と表現しているのではないでしょうか。