スピッツのシングル「ホタル」とは?

「ホタル」は2000年4月に発売されたスピッツの通算21作目のシングルです。

前作である「流れ星」から約1年ぶりのリリースでした。

スピッツのシングル「ホタル」の歌詞解釈

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前置きほぼ無しですが、早速「ホタル」の歌詞の解釈を載せていきたいと思います。

スピッツ楽曲は全て、解釈をリスナーに任せるというバンドの方針により、人それぞれの様々な解釈が存在します。

調べてみるといろんな解釈が出てきたので、記事の最後に他の解釈をしているブログも紹介しますね。

「ささやかな光」でも「僕」にとっては砂地に染み込む水のような「笑顔」

時を止めて君の笑顔が
胸の砂地に染み込んでいくよ
闇の途中でやっと気づいた
すぐに消えそうで悲しいほどささやかな光

出典: ホタル/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗

乾いた「砂地」のように荒れ果てた心の状態の僕は「君」の笑顔を見たとき、「砂地」に水が染み込むように心に「君」の笑顔が染み込んで行くのを感じたのでした。

その「笑顔」は、少し遠くで誰かと話している時に一瞬笑った横顔のように、光に例えるなら、ぱっと灯って消える「ホタル」のような「悲しいほどささやかな光」です。

しかし、「僕」にとっては、砂漠にある、ほんのわずかな水のように、自分の命を繋ぐ理由になるような「笑顔」だったのでした。

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「欲望」を満たすためではなく、ただ君に会いたくて

なまぬるい 優しさを求め
変わり続ける街の中で
終わりない 欲望埋めるより
懐かしい歌にも似た

出典: ホタル/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗

「なまぬるい優しさを求め」て「変わり続ける街」とは、人間の「終わりない欲望」に従い、何かにつけ便利さを求めて即物的に変わって行く現代社会の街の景色のことではないでしょうか。

そんな「街」の中では、恋愛もビジネスと化し、「終わりない欲望」の一つでもある性欲を満たすにも便利な世の中となってしまった。

このことに関する違和感は、「運命の人」のインタビューの時にボーカルの草野さんが語った、コンビニで避妊具が売られていることに違和感を感じたというエピソードにも繋がると思います。

しかし、そうやって欲望に対して便利になっていく社会に染まれないでいる「僕」の「君」への気持ちは「欲望」を満たしたいというよりも、「懐かしい歌」に出てくる恋愛のように、愛してる、好きだ、会いたいというような台詞が似合う、純粋な感情なのです。

そして、サビの歌詞に続きます。

この街に汚された「君」に惚れた「僕」

甘い言葉 耳に溶かして 僕のすべてを 汚してほしい
正しいものは これじゃなくても 忘れたくない 鮮やかで短い幻

出典: ホタル/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗

「甘い言葉」という言葉には前の歌詞に出てきた「懐かしい歌にも似た」という言葉がかかっており、やはり、「僕」の純粋な気持ちを伝える愛の言葉のことです。

しかし、そんな「甘い言葉」は「終わりない欲望」の「街」に染まり、汚れた「君」には届くはずもありません。

だからこそ、「僕」が「君」に言う「甘い言葉」なんて「耳に溶か」すように聞き流して、「欲望を埋める」行為で「僕のすべてを汚してほしい」と言っているのです。

それは続くともしれない一晩の行為で、「正しい」ことではないのかもしれない。

それでも、あの日「君」が一瞬見せた「笑顔」は「僕」にとって生きる希望となった光で、決して「忘れたくない」ものなのです。

もしかしたら、「時を止め」たいと思うくらい美しいと感じた「君の笑顔」が「鮮やかで短い幻」と感じるくらい、「君」は素行の悪い女性だったのかもしれません。

そんな「君」に汚されても、一緒にいたいと「僕」は思ったのです。

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「僕」の「紙のような」死生観

ひとつずつ バラまいて片づけ
生まれて死ぬまでのノルマから
紙のような 翼ではばたき
どこか遠いところまで

出典: ホタル/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗

「僕」にとっての人生は、「バラまいて片づけ」るのを繰り返す、「生まれて死ぬまでのノルマ」でしかないという人生観が見られるこの歌詞。

立派な翼を用意してそんなつまらない人生から飛び立つような才能も、努力して得た技術もない「僕」が解放されるには「紙のような翼」で「どこか遠いところ」へ飛ぶというより飛ばされていくしかない。

そんな「紙のような翼」で飛び立つのは、どこへ行くかもわからない大博打で、ほぼ自殺行為です。

「砂地」のように荒廃してしまった心の「僕」はそんな人生に、いつ死んでも同じとどこかで諦めていたのでしょう。

この解釈も合わせて考えると、砂地に染み込むような「君の笑顔」に生きる意味をもらったのだから、そんな「君」には「すべて汚」されても構わない、いっそ「汚して」一瞬でも「君」の隣にいさせてほしいという気持ちもわかる気がしますね。