「春」はポカポカと、心穏やかになる「陽気」があります。

冬の寒く冷たい季節が終わり、木々が芽吹く柔らかく暖かな季節です。

そんな暖かな中では、別れを決意した「あなた」でも別れを切り出しづらいでしょう。

だから、春よりも先の「夏」にしましょう。

でもやはり夏は暑いし面倒だから、別れは「秋」まで持ち越しませんか。

そんなふうに別れを先延ばししています。

でも、これは、季節の問題ではなく、本音は別れたくないのです。

私はこのままがいい、別れずに一緒にいたい。

でも、あなたは別れたいと思っているのなら、別れてもいいけど相応しい時期まで待とう。

しかし現実には伝えられないから、心でそう思っています。

そして「言ってみただけ」は思ってみただけなのです。

強がる自分は言いたかった。

叶わないことと知りつつ、心の中で願ってみたという表現です。

何気ない日常が思い出になる

「だらしない」のは無防備だから

だらしない寝顔 片っ方を探す靴下
絶対に言わない「ありがとう」
たまにくれる花の束
そうやって生きてきたはずでしょう?
歩んできたはずでしょう?

出典: またねがあれば/作詞:Sori Sawada 作曲:Sori Sawada

一緒に暮らしていたら、恋人の色んな姿を見ることがあります。

無防備な寝顔や、脱ぎ散らかした片方だけの靴下も。

今までは、それが日常でした。

ここでは、これまでの何気ない姿を見せあってきた2人が表現されています。

「だらしない寝顔」の無防備な姿を愛らしいと思っていたこと。

片方だけの靴下をだらしないと思いつつ、その無防備さを愛していた。

そして「ありがとう」を言えないでいたことも、本当は愛情の裏返しだった。

恋人に対して、自分は今まで、あえて感謝を口にしなかった。

それは、いつも一緒にいる愛する相手だからこそ、分かってくれると思ったから。

改めて言うのは恥ずかしい、だから口にできないでいた自分。

そんな自分に、時々恋人は「花の束」をくれていた。

おそらく大きな花束ということではなく、何気ない小さな可愛らしい花束だったのでしょう。

そんなささやかな幸せを生きてきた、これまで2人で歩んできたはずなのに。

その何気ない日々を思い出し、恋人との別れを受け入れられない本音が描かれています。

味気が抜けていても気が抜けていても

また同じ話何度聞いても飽きないよ
水道水のような毎日 炭酸のない恋の歌
味のないガムでも私はいいんだよ
捨てるくらいなら飲み込んでしまえ なんて

出典: またねがあれば/作詞:Sori Sawada 作曲:Sori Sawada

得意なこと、興味があることなど、好きな話は、何度も他人に話してしまうのが人間です。

とくに一緒に暮らしていると、繰り返してしまうことなんてよくあります。

大抵は飽きてしまうもの。

でも「飽きない」というのですから、何度も大切に聞いていたのでしょう。

それが2人を繋ぐものだから。

「水道水のような」は、どこにでもある当たり前に日常にあるようなこと。

そして「炭酸の無い」とは気の抜けてしまったような様子を指しています。

つまり、何の代わり映えもない当たり前の日常が毎日続いてもいい。

味気の無い気の抜けた恋が続いても構わない。

何度も嚙んで味を失ったガムのような毎日でも、退屈ではなかったのです。

くだらないと捨ててしまうよりも、その感情ごと飲み込んでしまえるよと表現しています。

あなたとの日々が退屈でくだらないものでも、私はそれで構わなかったのです。

「後悔」の数と最後の「さよなら」の意味とは

こんなに好きなのに

思えば後悔は二つくらいしかないな
誕生日プレゼントが渡せそうにないこと
あなたに見せたかった服が無駄になってしまったこと
ああそれからね 友達としても会えなくなりそうなこと
あなたの中の私は意外と小さかったこと

出典: またねがあれば/作詞:Sori Sawada 作曲:Sori Sawada

数えた後悔は、ついに4つになっています。

ここでいう「後悔」の数は、あくまでも強がりなのでしょう。

ちょっとしかないよ、あなたに対する未練は。

そう強がりたかったけれど、思い返すとあふれ出す感情がある。

ここでポイントとなるのが、「友達」にはなれないという気持ちが込められたリリックです。

恋人を解消しても、知り合いや友達という関係性にあるカップルも存在します。

しかしそうではなく、会えないと表現したいほど、他人になりたいと思っている。

それは、悔しくて会いたくないという心情なのでしょう。

その理由としては、恋人の中で自分の存在が「小さい」と表現されたところ。

自分は、恋人を一番に思っていた、例え、感謝を口にできなかったとしても。

でも、恋人の方はそうではなかったみたい。

思っていたより私は、恋人の気持ちの中で大切な存在ではなかったようだ。

心はすれ違い、存在に対する価値観の違いを感じてしまった。

相手を好きだった自分が惨めで悔しくて、友達としても会いたくないのです。

最後の「さよなら」に込める本音

最後は私の方から「ありがとう」を言うから
あなたも笑ってよ
重くならないように言った上辺だけのさよならじゃ
どれも意味を成さないんだよ
それじゃあね

出典: またねがあれば/作詞:Sori Sawada 作曲:Sori Sawada

強がりは続きます。

本当は、何気ないあの日常を続けたかったけれど、それは叶わない。

もう会いたくない、会うこともない。

だけど、これまでの幸せな日々をくれて「ありがとう」。

最後は、今まで言えなかった自分から感謝を言うのは、これが最後だからなのでしょう。

今まで、強がって恥ずかしがって言わなかったけれど、本当は思っていた感謝の気持ち。

悔しいけど、でも、最後に私のプライドとして感謝を伝えたい。

恋人は「さよなら」を告げようとしたのかもしれません。

それも、悲しくならないように明るく。

それを制して「意味を成さない」と厳しく返すほど、自分はまだ悔しいのです。

別れを受け入れるのが、悔しくて寂しいけれど、強がっています。

もう恋人じゃないから、これが最後であることを私もそれを自覚しよう。

自分の心に言い聞かせるように、この「さよなら」を最後に言葉にしたということです。

まとめ