DTMの魔術師、”ハチ”

出す歌すべてがヒットといっていいような快進撃を続けている米津玄師

1991年生まれの彼は幼いころからインターネットやコンピューターが身近にあり、WEBで見たあるFLASHアニメに衝撃を受け、音楽への認識が変わったといいます。

中学のころから作曲を開始、その後一時期はヴォーカル、ベースを担当しバンドを組んでいたが、あまりうまくいかなかったそうです。

ミリオンヒット量産!

2008年頃からDTMで音楽を発表し始め、その際の名義は”ハチ”。

最初期は自身のヴォーカルで楽曲動画サイトに公開していたが納得がいかなくなりすべて削除。

翌年に初音ミクなどのボーカロイドを用いた音源を発表、ミリオン再生越えのヒット曲を量産し、ネット上を騒然とさせました。

このころ発表した「マトリョシカ」や「パンダヒーロー」はアルバム『OFFICIAL ORANGE』の収録曲として2010年に自主製作で販売され、さらに2013年にリイシュー版が全国流通で再発売されています。

”ハチ”から”米津玄師”へ

2012年、本名”米津玄師”名義において、インディーズから1stアルバム『diorama』を世に送り出します。

全曲作詞作曲はもちろん、ボーカロイドでなく自身の声で歌ったアルバムを本名で発売することによって、米津玄師自身で音楽界に打って出たような形になりました。

インディーズレーベルにもかかわらずオリコン週刊チャート6位という結果に。

音楽界が新たな若い才能を驚きをもって受け入れた瞬間でした。

個人主義が幸いした!?

以前バンドがうまくいかなかった原因として、自身の個人主義的な面が原因だと語る米津玄師。

バンド内の人間関係というものは確かに簡単なものではありません。

人間関係のみならず、各個人の音楽的志向なども尊重せねばならず、方向性一つ決めるのにも大変な労力を要することも珍しくないといえます。

ましてや米津玄師のような抜きんでた才能を持つ人間がいたならばなおさらです。

彼が自身の名前でリリースする楽曲はロックサウンド色が強く、グルーヴ感あふれるものも多いですが、本来そう言うサウンドはバンド向けともいえます。

息の合ったバンドメンバーでうまくいっている場合、バンドならではのマジックといったものは確かに存在します。

あふれるグルーヴ感や一体感など、バンドでしか得られないものも確かにあります。

しかし彼には、それを補ってあまりある才能が備わっていたのでしょう。

他のメンバーと音楽性のすり合わせをしているようでは、存分にその才能を発揮することは不可能です。

そこでバンドにこだわることはやめ、一人で表現することに決めた米津玄師。

日本の音楽界の歴史を変える英断だったといえるかもしれません。

「ララバイさよなら」の歌詞の世界

「ララバイさよなら」は2017年2月にリリースされたシングル『orion』のカップリング曲。

表題曲「orion」は痛さを感じさせるほどの純粋な愛の歌なのに対し、ここで紹介する「ララバイさよなら」は対照的な雰囲気の、毒をはらんだ独特の世界観を持っています。

痛みも孤独も全て お前になんかやるもんか
もったいなくて笑けた帰り道
学芸会でもあるまいに

後ろ暗いものを本音と呼んで
ありがたがる驢馬の耳に
ささくれだらけのありのまま
どうぞ美味しく召し上がれ

出典: https://twitter.com/ykkrny/status/929677811693993984

”生きているからこそ痛みを感じるし、孤独だって思うんだ、これは生きているからこそ、生きてるって素晴らしい!”

ちょっと辛いと漏らしたら、そんな風に励まされた経験のある方もいるのではないでしょうか。

心に受けた傷は、他人の目には見えません。

どんなに傷が深く痛んでも、どれだけ闇が深くても、他人が本人と同じ闇を共有することは不可能です。

学芸会のような偽善

”時が癒してくれる”

”何でも話して、一緒に話そう”

偽善者ぶって無意味な慰めを繰り返す周囲にうんざりし、学芸会だと冷めた笑いを浮かべます。

苦しみや抱えた闇は、その本人だけのもの。

”俺が抱えているのはお前には想像できないほどの痛みと、底の知れない闇だ

理解できないだろうし、する気もないのなら近寄るな”

耳ざわりのいい本音を求めていたのなら大けがをすることになります。

がみがみうるせえ面倒くせえや
たかが生きるか死ぬかだろ
どうせ誰もが皮の下に
髑髏を飼って生きてんだ

出典: https://twitter.com/Kenshi_Yonezu_R/status/930814719203557376

絶望と生と死とは隣り合わせ