沖縄の民謡色を取り入れた美しい楽曲

やなわらばーの「花」は、2008年リリースのアルバム「凪唄」に収録されている曲。

曲調と歌声共に沖縄の民謡色が非常に強く、他の邦楽とは一線を画しています。

ショートバージョンのMVとフルサイズの演奏ムービーが公開されていて、こちらは後者の方です。

タイトルのお花をモチーフに、「人の心」について美しく歌い上げています。

その「人」を見る視点も、自然に生きる生き物として見ている印象です。

人でもなければ花でもない、第三者的な立場で見ている曲といえるでしょう。

独特な言い回しが特徴的な歌詞ですが、いったいどのような意味が込められているのでしょうか。

三線を使った沖縄の魅力が詰まったメロディ

「花」MVはこちら!

「花」の特徴は何といっても独特なメロディです。

沖縄の楽器である三線を使っていて、歌声も沖縄民謡ならではの伸びやかな高音

のんびりと優しくて、でもどこかキラキラとした透明感のある美しさがあります。

まるで沖縄の海のようですね。

沖縄県石垣島出身アーティストである、やなわらばーだから歌える曲でしょう。

沖縄民謡や「島唄」のような曲が好きな人にはたまりません!

やなわらばーが歌う曲には沖縄の方言が歌詞に入っているものもありますが、「花」は標準語のみ。

そのため、あまり沖縄の方言に詳しくなくても親しみやすくなっています。

川と人が流れつく場所

出だしは「川」「人」に関する歌詞で始まります。

いったいそこからどのような形で「花」と結び付けられるのでしょうか。

そして人と共にある「花」とはどのようなものなのかについて、一緒に紐解いてみましょう。

花として咲くもの

川は流れて どこどこ行くの
人も流れて どこどこ行くの
そんな流れが つくころには
花として 花として 咲かせてあげたい
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か
花をさかそうよ

出典: 花/作詞:喜納昌吉 作曲:喜納昌吉

上2行の歌詞は、人と川に共通性を見出しているように思えます。

人のどの部分を川のようだとしているのかについては、歌詞に書いていません。

都会でよく見られる、スーツを着た人々が歩いている様子を川にたとえることができるでしょう。

人の人生を川のようだと考えることもできます。

いったいどちらのことなのでしょうか。

筆者は人生の方かな、と感じました。

3行目以降を見ると、花は「人の心の中にあるもの」という印象があるからです。

人生には辛いことも楽しいことも沢山あります。

それらを経て、「あなただけの花を咲かせましょうよ」と言っているのかもしれません。

川は流れて海へ行きますが、人生はどこへ流れてゆくのでしょうか。

それは人生のゴールか、人生が何かを悟った時か。

解釈のしようはいくらでもありそうですが、そこで感じたものを「花」として昇華していくように思えます。

敢えて細かいことはぼかして、聴く人に色々な想像をさせてくれるのも「花」の魅力でしょう。

涙と愛が流れつく場所

先程は「人」そのものについての歌詞でしたが、次は「心」に関することに言及します。

感情の移ろいもまた、川のように流れていくもの。

その中で、「花」はどのような存在となるのでしょうか。

花として迎えられるもの

涙ながれて どこどこ行くの
愛もながれて どこどこ行くの
そんな流れを このうちに
花として 花として むかえてあげたい
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か
花をさかそうよ

出典: 花/作詞:喜納昌吉 作曲:喜納昌吉

涙や愛もまた、「花」の一部となるのでしょう。

花を咲かすには、楽しいことも悲しいことも目一杯心に感じている必要があるのです。

それらを感じることで、咲く花もより美しく鮮やかになるのかもしれません。

「あなただけの素敵な花が咲くから、今は沢山笑って泣きましょう」と教えてくれているのでしょうか。

そう考えると、これから起こる色々なことも前向きな気持ちで向き合っていけそうですね。