スピッツの「日なたの窓に憧れて」とは?
「日なたの窓に憧れて」は、1992年11月26日に発売されたスピッツの通算5作目のシングルです。
1992年9月26日に発売された通算3作目のアルバム『惑星のかけら』からのリカットシングルで、
シングルの方はアルバムとは曲の終わり方が違い、最後のシーケンスだけが流れるところでフェードアウトするという特徴があります。
ボーカルの草野さんが作った、鳴り続けるシーケンスが印象的な一曲です。
当時草野さんは本当に「日なたの窓に憧れて」いた!?
実はこの曲、当時、日の当たらない部屋に住んでいた草野さんの思いから生まれた歌だと言われているんです。
日の当たる部屋に住みたいという思いがそのまま「日なたの窓に憧れて」というタイトルに繋がっていたのですね。
しかし、歌詞の解釈をしていくと、それだけではないということがわかりました。
初期の方の曲であり、はっきり言ってシングルカットはされているもののスピッツのメジャーな曲とは言えない「日なたの窓に憧れて」ですが、
結成30周年の今も変わらない草野さんの人生観や恋愛観がこの曲の歌詞、そしてタイトルに込められていると解釈できるのです。
詳しくはこの後歌詞の解釈をしていく中でわかっていただけると思うので、ぜひ最後までお付き合いください!
スピッツ「日なたの窓に憧れて」の歌詞解釈!
君に恋をして僕の世界は動き出した!でも...!
君が世界だと気づいた日から 胸の大地は回り始めた
切ない空に浮かべていたのさ かげろうみたいな二人の姿を
出典: 日なたの窓に憧れて/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
地球はもちろん回り続けているのですが、自分がけ時間が止まっているかのようにつまらない日々を過ごしていた「僕」。
そんな「僕」にとって「君」との出会いは、それまで見ていたのが「世界」ではなかったと思えるくらいに、衝撃的なものでした。
「君」と出会って自分の心の中の時計も動き始めたのです。
そして、動き始めた心で、「大地」から遠い「空」を見上げて「切ない」くらいに「君」を恋しく思っていたのでした。
しかし、どれだけ「空」を見つめて、「君」と結ばれた「僕」を思い浮かべようとしても、
「二人の姿」は「かげろう」のように浮かんで消えてしまうのでした。
メラメラと炎のように見えても燃え上がっているわけでもなく、そしてやがて消えてしまう陽炎に二人を重ねたところに、
あくまで「君」とは付き合っておらず、「僕」が妄想しているだけで、
妄想の中でも「君」と結ばれるハッピーエンドは想像できていないということがわかりますね。
その理由とは...続きの歌詞も見ていきましょう。
気絶しそうなくらいに狂おしい想い
すぐに
気絶しそうな想いから放たれて
君に触れたい 君に触れたい 日なたの窓で
漂いながら 絡まりながら
それだけでいい 何もいらない 瞳の奥へ僕を沈めてくれ
出典: 日なたの窓に憧れて/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
「君」への想いが一人ぼっちの日の当たらない部屋の中で募っていく「僕」。
その想いは、「気絶しそうな」くらいに膨れ上がっているのでした。
一刻も早くそんな狂おしいほどの想いから「放たれて」「君に触れたい」と強く想うのでした。
こんな日も差さない部屋の窓辺ではなく、太陽の光が降り注ぐ「日なたの窓」で何も考えず漂うように「君」と「絡まり」合いたい。
そんな妄想の中の二人は、日光に照らされて幸せそうな笑顔を浮かべているのでしょう。
もし「君」とそんな関係になれたなら、「それだけでいい 何もいらない」と思うのでした。
「瞳の奥へ僕を沈めてくれ」という言葉は、これ以上何もいらないと思うほどの幸福を手にいれて、
「君」と過ごせる幸福の中に溶けてなくなってしまうような「僕」の姿を表しているのでしょう。
しかし、「君」と結ばれたいと想うと同時に、相反する感情も抱いているということがこの後の歌詞で徐々にわかっていきます。
哀しい恋のうたのゆりかごで眠り、落書きだらけの夢のような歌を紡ぎ出す
日なたの窓に憧れてたんだ 哀しい恋のうたに揺られて
落書きだらけの夢を見るのさ 風のノイズで削られていくよ
出典: 日なたの窓に憧れて/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
暗い部屋の中でいつまでも「日なたの窓に憧れて」いることが、「僕」にとっては大切だということがわかるのがこの部分の歌詞。
幸せな恋ではなく、「哀しい恋のうた」を聴きながら、いつしかゆりかごに「揺られて」いるかのように眠りについた「僕」は、
「落書きだらけの夢を見る」のですが、吹き込んだ「風」によって「ノイズ」が入って目が覚め、
「夢」の記憶は「削られ」多様に断片的になっていくのでした。
この部分をさらに解釈するために「落書きだらけの夢」という言葉に注目したいのですが、「落書き」と言えばスピッツの曲だと「ラクガキ王国」が浮かびますね。
「ラクガキ王国」では、教科書の隅っこのラクガキが「新しい掟」による「強大な王国」になるという、
空想の中で世の中のルールなんて関係がない自分だけの世界を作り出すということが歌われていますが、これはそのまま、
スピッツの音楽を意味しているのではないかと考えられます。
すなわち、暗い部屋で生み出す「落書きだらけの夢」こそ草野さんにとって「自分だけの世界」であり、
スピッツの音楽だということができるのではないでしょうか。
とすると、「日なたの窓」がある明るい部屋に移ったり、「君に触れた」りして、満ち足りてしまうのではなく、
幸福に「気絶しそうな」くらい「憧れて」いるままの状態が、音楽を生み出す原動力となっているということができますね。
実際草野さんは過去のインタビューで、元々はこの「日なたの窓に憧れて」には、幸福や満ち足りた状態を象徴する「日なたの窓」に
近づきすぎると最後には痛い目を見るといったようなネガティブな歌詞が入っていたというようなことを話しています。
また、幸せになりすぎるとかえって気が狂いそうになるくらいマイナス思考に陥りがちなことや、
恋愛においては少し不安な相手くらいがちょうど良いというようなことも言っていたようです。