amazarashiの「たられば」とは?
「たられば」は、2017年9月6日に発売されたamazarashiの4枚目のシングル、「空に歌えば」に収録された楽曲です。
2017年12月13日発売の最新フルアルバム『地方都市のメメント・モリ』にも収録されています。
生きていたら誰もが心の中で思う数々の“たられば”なことが込められた歌詞で話題になりました。
手描きのイラストで紡がれる優しい世界!amazarashi「たられば」のMV
「たられば」の歌詞の世界観を鉛筆と水彩絵の具のような温かいタッチで描き出したMV。
手がけたのは久保雄太郎さんで、国際アニメーション映画祭などの受賞歴もある方ですね。
リアルなタッチというよりはデフォルメされたキャラクターで描かれているのですが、
不思議とキャラウターの表情からひしひしと感情が伝わってくるんですよね。
では、そんな「たられば」の歌詞を詳しくみていきましょう。
amazarashiの「たられば」の歌詞解釈!
「もしも僕が」〇〇「だったなら」という言葉で「たられば」の願望を語っていく歌詞を中心に進行していく歌詞。
では、「僕」の存在意義とは...?
誰もが一度は考えたことのある「たられば」をベースに想像を膨らませた歌詞を見ていきましょう。
子供の頃に描いたような願望から見えてくること
もしも僕が天才だったなら たった一つだけ名作を作る
死ぬまで遊べる金を手に入れて それこそ死ぬまで遊んで暮らす
もしも僕が王様だったなら 嫌いな奴は全員消えてもらう
僕以外、皆居なくなるかもな なら僕が消えた方が早いか
あなたの眠った顔見ていたら こんな僕も
悪くはないなって思えたんだ
無い物ねだりの 尽きない戯言
出典: たられば/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
何も努力しなくても後世に名を残すことができるような「天才」だったなら、とことん努力せず、「たった一つだけ名作」を作って「死ぬまで遊べる金を手に入れて」「死ぬまで遊んで暮らす」だろう。
ちゃっかり後世にも名を残しつつ、死ぬまで遊んで暮らしているところが素敵ですね。
そして、天才の次は王様です。
もしも「王様」だったら、「嫌いな奴は全員消えてもらう」。
しかし、そうすると気に入らないことがある度に人々を消していったら「僕以外、みんな居なくなる」だろうということまで考えています。
それなら自分が消えた方が早いと思ってしまうのでした。
誰かに消えて欲しいと思ってしまうこと、生きていればあっても不思議ではありません。
しかし、本当にそうやって自分と相いれない相手を消していっていたら...誰とも相いれない自分が消えればいいと思ってしまうかもしれないということですね。
時には自分とは全く違う合わない・苦手だと思う人と出会い、自分との違いを見出す中で、自分を形成していっているという部分もあるということですね。
天才の場合も同じで、努力しても認められなかったり、ままならないことがあるからこそ、自分を見つめ直し、自分らしさを見つけていくということの裏返しなのでしょう。
自分のままならない人生からわかること
もしも僕の頭が良かったら 大学に行って勉強するよ
立派な仕事で親孝行して 両親が喜ぶ顔が見たかった
もしも僕が優しい人だったら 困ってる人は全員助ける
見て見ぬ振りで素通りして 惨めな気持ちになるのは、もう嫌だ
もしも僕が話し上手だったら 深夜ラジオのパーソナリティーになる
どこかの誰かの辛い一日を 笑顔で終わらせる人になる
あなたの眠った顔見ていたら こんな僕も
悪くはないなって思えたんだ
無い物ねだりの 尽きない戯言
出典: たられば/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
前の歌詞は子供が想像するような「たられば」でしたが、次はamazarashiのリスナー帯にはぐっと現実味のある歌詞かもしれませんね。
「頭が良かったら」「大学に行って」「立派な仕事で親孝行して」「両親が喜ぶ顔が見たかった」。
大学に行っても、仕事で稼ぐお金は自分を保つだけでいっぱいいっぱいで、親孝行なんてできていないという人も多いのではないでしょうか。
「天才」になるとか「王様」になるとか、そんな話じゃないのに、気がついてみれば一番身近な人の「喜ぶ顔」さえ遠くなって。
同じくらい現実味がないかのように「たられば」を描いてしまうのでした。
そして、見て見ぬ振りをし続ける惨めな日常に対する「たられば」です。
「優しい人」だったら、「困ってる人」は全員助けたい。
自分の気持ちの持ち方次第と言われても、できない自分が嫌いで、それでも、変われない。
また、「話し上手」でもないから、「深夜ラジオのパーソナリティー」のように「どこかの誰かの辛い一日を」「笑顔で終わらせる」こともできないと歌っています。
誰かを喜ばせること、誰かの心の支えになることができている人達への羨望の気持ちが歌われている部分ですね。
大切な人の存在から見えてくる自分の存在意義
もしも僕がミュージシャンだったなら 言葉にならない言葉を紡ぐ
誰も聞いた事無い旋律で そんな事考えていたっけな
もしも僕が名医だったなら 親父の病気は僕が治す
照れくさいから言わないけどな そういうとこばっかり似てるよな
あなたの眠った顔見ていたら こんな僕も
悪くはないなって思えたんだ
無い物ねだりの 尽きない戯言
出典: たられば/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
「ミュージシャンだったなら」人々が言葉にできないような感情を言葉に変えて歌い、誰も聞いたことがないような旋律を奏でる、この部分はかつての夢のようにも聞こえますね。
そして「名医だったなら」自分の父親の病気も自分が治す、しかしこんなことは「照れくさいから」伝えることはないのでした。
自分のそんな部分を考えると、自分と父親は想っているけど伝えないという、「そういうとこばっかり似てる」と気づくのです。
「無い物ねだり」で、自分の至らないところを思い返す度に、自分の形へと迫っていく歌詞。
ここまで敢えて解釈してこなかったのですが、「あなたの眠った顔見ていたらこんな僕も 悪くはないなって思えたんだ」という歌詞。
大切な人の眠る顔を見て、世の中の役に立てなくても、無力でも、一人でも自分を信頼して目の前で眠る人がいるなら、自分も生きていていいと思ったのでしょう。