「アイ・ラブ・ユー,OK」とはどんな曲?
矢沢永吉を知っている人も知らない人もまずこの曲を聴いてみよう!解説はそれからです!
「アイ・ラブ・ユー,OK」を聴いてみよう
いかがでしたか?
3連符からのオープニング!
オールディーズのバラードでは定番のアレンジですね!
まさに王道を狙った作りの曲で、思わず口ずさみたくなるようなシンプルな作りになっています。
サビの手前のマイナー調になるところも定番中の定番で、ちょっと寂しい雰囲気をかもしだします。
その後最後のテーマへとつないで行き、聞いている人をほっとさせといてからエンディングへ導いてゆく曲調は、まさにアイ・ラブ・ユー,OKなわけです。
この曲だけを聞いてみても、どこに低評価になる理由があるのか全く分かりませんね。
それでは、何故この曲が発表されたときに低評価を受けてしまったのか、時代をさかのぼって検証してみましょう。
「アイ・ラブ・ユー,OK」の秘密はデビュー前にある!
「アイ・ラブ・ユー,OK」はソロデビューの際に発表された曲ですが、実際はかなり前に作った曲なのだそうです。
当時のインタビューでも矢沢自身が作った曲の中で思い入れの深い曲だと答えていたのを覚えています。
それはまだバンドを組むはるか前、デビューにあこがれる10代の青春時代のときに作った曲を、ずーっと温めていたのだそうです。
何度か世に出そうと頑張ったらしいのですが、その都度受け入れてもらえなかった曲でもあるそうです。
たしかに、どんなに良い曲でもその時代にマッチしていなければ受け入れてもらえませんからね~。
しかし、普通に聞いていても当時の低評価の理由がなかなかわかりませんので、少し矢沢永吉の過去をさかのぼり理由を探ってみましょう。
最初のデビューはバンド!
矢沢永吉も最初からソロアーティストだったわけではなく、バンドデビューが最初です。
色々と売れないバンド時代をすごしながらメンバーを探してゆき、ついに「キャロル」というバンドで人気を得ました。
このバンドはストレートなロックンロールが売りのバンドで、バイクブームと相まって若者の支持を受けて大いに盛り上がったバンドでした。
当然「アイ・ラブ・ユー,OK」を世に出すべくバンドを組む前から売り込みをしていたようですが、今思えばタイミング悪い時期ですね。
理由は、このころを総括して‘70年代といいますが、日本ではフォークソング全盛時代でした。
また、一部ではロックンロールが流行っていましたが、「アイ・ラブ・ユー,OK」のような‘50年代’60年代のバラード調は受け入れてもらえなかったのでしょう。
キャロル解散!
キャロルが解散したのは筆者が15歳の時です!
日比谷野外音楽堂での解散コンサートはテレビでも放送され、セットは燃えるは、観客興奮してステージに迫ってくるは、という衝撃的なコンサートだったことを覚えています!
この後、矢沢永吉はソロデビューを決定し、長年温めていた「アイ・ラブ・ユー,OK」を発表しました。しかし、この曲は意外と受け入れられず、かなりの低評価となったのです。
この状況に矢沢永吉はへこんじゃうのですが、あきらめずに徐々に盛り返していったのはさすがといえるでしょう!
そこら辺の経緯や精神的な頑張りは、有名な矢沢永吉著『なりあがり』を読んでいただければわかっていただけるでしょう。
「アイ・ラブ・ユー,OK」低評価の原因は
ソロデビューに合わせて長年温めていた「アイ・ラブ・ユー,OK」を発表したわけですが、筆者も最初に聞いたときはなんとなく違和感を覚えました。
それは、キャロルでベースを弾きながら、「君はファンキー・モンキー・ベイビー」とうたっていた時の矢沢永吉の印象が強すぎたからです。
やはり矢沢永吉といえばノリノリのロックンロール!
キャロル時代からのファンの固定概念が強すぎて思わぬ低評価となったのでしょう。
ソロになってからのファンにはバラードは永ちゃんの定番ですので、素直に「時間よとまれ」も受け入れられ大ヒット曲となったのでしょう。