それぞれの正義

加害者と被害者

人は皆誰も誰かの加害者
富める国の長さも朽ちた村の少女も
何かを奪って何かを与えて
黒い夜超え 光溢れる朝
仰ぎ迎える
そうして繋いでく

出典: Logicania distance/作詞:悠木碧 作曲:川田瑠夏

ここまで見てきた物語。一体、悪者は誰だと思いましたか?

多くの人は、それは王様だと思うでしょう。

例えば『桃太郎』は鬼、『赤ずきんちゃん』は狼という悪役がいます。

物語には必ず、加害者と被害者が存在します。

それは、主人公という一方の目線から描かれているからです。

しかし実際の世界には一人の主人公という概念が存在しません。

私たちは誰もが主人公で、それぞれが人生という物語を歩んでいます。

そのため、自分から見るとある人物が加害者でも、その人から見ると自分が加害者になる可能性もあるでしょう。

それと同じで王様は自分にとっての加害者の命を奪い、王様を加害者だと思っている少年も同じことをしたまで。

だから一概に「物語の加害者と被害者はこの人である」とはいえないのです。

ここの歌詞ではそういうことが言われています。

正義とは何か

少女も王も叫んだ
これこそが 正義たれと
僕は命が光るのをただ見てた

出典: Logicania distance/作詞:悠木碧 作曲:川田瑠夏

物語でなくとも、私たちの世界には争いが絶えません

戦争はもちろん政治や宗教上の違い、身の回りで起こる小さな口論…。

なぜ私たちはすれ違ってしまうのでしょうか?

それは、それぞれに無くしたくない正義があるからです。

どんなに矛盾していようと、他から批判されようとも揺らぐことない正義を人は誰もが持っています。

家族の命を守りたい、困っている人を助けたい、自分らしく生きたい。

しかし、自分以外の全員がその正義を理解してくれるとは限りません。

必ず一つの正義と、あるもう一方の正義は対立してしまうのです。

王様は自らの正義を貫くために、青年の命を奪いました。

少女は復讐という正義を持って、子供を誕生させ、王様の命を奪いました。

そう冷静に考えると、どちらの気持ちも分かるような気がしませんか?

生きるために奪い合う

唯一の希望は生きること

しがみついた生が零れる
壁も国も超えて
皆生きる希望に膝を折った
人は皆誰も誰かの被害者
富める国も長も朽ちた村の少女も
何かを奪って 何かを与えて
白い空追い 消えゆく生 腹に抱え
噎ぶ

出典: Logicania distance/作詞:悠木碧 作曲:川田瑠夏

私たちは誰もが加害者となる可能性と同時に被害者となる可能性があります。

日本は今平和な世の中なので、命が奪われる恐怖を持っている人はそうそういません。

しかし、自分らしく生きるということに関してはどうでしょう。

自分が信じるもの、選びたいもの…。

そういった自由が奪われる可能性は大いにあります。

奪い合いが終わらない世界。そんな中で私たちの希望となるものは何でしょうか?

それは、生きたいという希望です。

どんなに奪われたとしても、自分が奪うことになったとしても、その希望を失ってはいけません。

なぜならば、あなたの人生で主人公になるのはあなた自身だからです。

二度と同じ人生は歩めない

生きる限り何かを 奪う 食らう
生きる限り僕らは
出会い 別れて 出会う
森も海も山も廻れど
同じ時は二度と 戻れないルール
定めた世界

出典: Logicania distance/作詞:悠木碧 作曲:川田瑠夏

ここでまた、世の常が表現されています。

私たちは生きている中で大切な人に出会うことも、別れることもあります。

そして、それを後悔しようとしまいと、過ぎ去った出来事はかえってきません。

来世でまた同じ人に出会う…。

それは素敵ですが、夢物語でしかありません。

二度と繰り返すことのない人生だからこそ、私たちは日々を生きていけるのです。

また、それを知っているからこそ、自分のために誰かの“何か”を奪うのでしょう。

私たちはそれぞれが生きることに必死。

それは悪いことではありません。いつか神様が与えた、この世界の在り方なのです。

自分の命を選択する