「僕」が掴もうとしていたものは、本当にほしいと願っていたものとは違っていたようです。
やっと手に取った未来が、自分がほしくてやまなかった「今」ではない、別の未来だった・・・なんとももどかしく、悲しいですね。
きっと「僕」は、「君」との未来を掴もうとしていたはずです。しかし「君」はいなくなり、「僕」は「君」を探してカーマシティへやってきたのでしょうか。
あの子はまた同じように 誰の手でもすり抜けて
いつもただ一人でいたんだ 諦めるように歌って
出典: Karma City/作詞:Kenshi Yonezu 作曲:Kenshi Yonezu
誰の手もすり抜けてしまう「君」は、おそらく掴みどころのない女の子なのでしょう。
だから「僕」は「君」を遊びに誘えないままだったし、カーマシティまで彼女を追ってやってきてしまったのです。
いつも一人でいたという彼女は、退屈そうな笑顔を見せ、諦めるように歌っています。つまり、彼女は何かを諦め、捨てようとしている(もしくは捨てた)のです。
ここは永遠を刻んで潰した
生者と死者の 僅かな隙間 カーマシティ
君はほら街を外れて 消えていく
出典: Karma City/作詞:Kenshi Yonezu 作曲:Kenshi Yonezu
どうやら、カーマシティは過去や未来を超えるだけではなく、生と死をも超越している街のようです。
つまり、ここでは死者に会えるわけですね。
「あの子」は死んでいる?
そう考えると、曲に登場する「あの子」はとうの昔に死んでいて、それを追って「僕」はカーマシティまでやってきた、という意味だと解釈することができます。
彼女は沈みゆく街と共に消えているので、筆者は勝手に水の事故などを想像してしまいましたね。具体的な描写がないので分かりませんが。
そして、望んでいたのとは違った「今」を手にしている「僕」は生きているはずです。つまりカーマシティで、生者(「僕」)と死者(「あの子」)が交わろうとする話ではないでしょうか?
あの子はいなくなってしまう?
せっかく過去と未来をつなぎ、生も死も越えた空間、カーマシティにたどり着いた「僕」ですが、「あの子」は街を外れて言ってしまいます。
街を外れるということは、時間や命の営みを超越した空間の過誤を受けられなくなるということではないでしょうか?
せっかくたどり着いたカーマシティでも、彼女は「僕」には届かない存在で、目の前から消えていってしまいます。
いつも退屈そうにしていて、諦めたように歌う女の子は、生きるというステージから、何らかの理由ではじき出されてしまった存在なのかも知れません。
そして「僕」は、2人をつなぐカーマシティという、過去も生死も越えた世界で君を探すのです。
しかし、届かない。「あの子」というのは「僕」にとって、永遠に叶うことのない憧れのようなものなのかも知れません。
米津玄師が作り出す世界観
中毒性の高さがすごい!
「KARMA CITY」は、生と死、過去と未来をつなぐ街という、非常にファンタジックな設定になっています。だからこそそこには、異国情緒のような者さえ漂っています。
そして、ちょっと薄暗い歌詞に当ててきたのは中毒性の高い独特のサウンド。
思い出せなくなっちゃう前に僕と遊びに行こうぜって
ついにはもう言えないまんま あの子は消えていったんだ
(思い出せなくなってしまう前に遊びに行こうぜって
ついには言えないまんま あの子は消えていった)
出典: Karma City/作詞:Kenshi Yonezu 作曲:Kenshi Yonezu
ここの歌詞はまるで追いかけっこのように絶妙に声が混ざり、不思議な感覚を生み出します。1度聞いたらクセになる、非常に中毒性の高いサウンドになっていますよ。
唯一無二の存在
米津玄師さんが作り出す音楽は、常に独創的で、1度聞いたら耳から離れないメロディーばかりです。歌の上手さはもちろん、米津さんの声も非常にミステリアスで個性的です。
他にない、その声だけで世界観が生まれるような声を持っているので、米津玄師さんの楽曲が唯一無二の存在になるのでしょう。
米津さんは元々ボーカロイド・プロデューサーでしたから、サウンドを作るということに対して、他のアーティストとは少し違った位置から見ているような気がします。
プロデューサー目線で、歌う人そのものよりも俯瞰野目で見られているのではないでしょうか?そういう独特の距離感が、米津玄師さんにしか作れないサウンドの素になっているのだと思います。
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