地元を離れて東京へ行くことと地元へ残ること。
夢を持っていれば、誰もが選択しなければならない"どこで生きていくか"という問題についてさりげないエピソードとともに歌われています。
地元に残る人間はいつか帰ってくる時に戻れる場所を作ろうとしています。
地方が何もない寂れた場所になってしまうことをなんとか守ろうとしている。
そういう残った者の戦いもよくわかります。
一方、夢を追い、その夢を実現していく人間が、地元を思う気持ちもわかります。
かつてともに生きていた人々と別れていくこと。
でもたとえ違う場所で生きていたとしても、きっとまたともにいられる、そんな人たちがいるのでしょう。
心を許し切ってる場所で
なんか話を聞いてるだけで
熱くなるぜ おお見てろよ
絶対に俺しかできないことやってやる
出典: http://lyrics.jetmute.com/viewlyrics.php?id=2308884
故郷を離れる人間は夢を追うことを決めた時から、いつか夢を叶えて故郷に戻るという思いで生きてきたのかもしれません。
これはTAKUYA∞の思いであり、成功を夢見て故郷を離れる人間の思いでもあるのかもしれませんね。
メロンが食べたくて売春した子がいるんだってさ
出典: http://lyrics.jetmute.com/viewlyrics.php?id=2308884
地元に戻ったTAKUYA∞が地元のありのままの姿を歌う時、こういう衝撃的なエピソードも歌の中に出てきます。
あんた なんで嘘ばっか書いてんだ?
嫁と子供を食わせるための記事?
じゃあしょうがねぇ 「ここはどこ? 俺は誰?」
それに近いもんがあんだよ
出典: http://lyrics.jetmute.com/viewlyrics.php?id=2308884
ここでは筆者のようなもの書きについても触れられています。
目指したい夢とリアルな現実。
その狭間で悩むことは誰でもあるのでしょう。
ライターは汚い現実を切りとることもゴシップを書くこともあるのかもしれません。
でも自分が表現していることも近いものがあるという告白が響きます。
アーティストとして歌うこと、自分が自分であること
大勢の人間の夢を背負ってアーティストは歌を歌い続けています。
それは聴く人間の聴きたい歌を歌っているという部分もあるのかもしれません。
記事もそうです。
読みたい人の読みたい文章を書くことが求められます。
そして実際にUVERworldのような存在であっても常に売り上げは求められるでしょう。
夢と現実の狭間で、人々が憧れる夢を歌うことを求められた時、自分の中で表現し残した部分も生まれるのかもしれません。
自分に求められるイメージを超えて、この歌は決して適当ではなく、さけて通れないリアルな部分についても歌っているのでしょう。
この歌の問題性は、夢ではなく現実から生まれています。
裸で生まれてきた俺たちは
全部無くしたって
プラマイゼロはちょっと言いすぎか?
出典: http://lyrics.jetmute.com/viewlyrics.php?id=2308884
失うものは何もない。
そう言って前へ進むこともできるでしょう。
でも人生を積み重ねていくと失うことができないことも増えていきます。
ここでは人々を後押ししながら、でも"失う物は何もない"とは言い切ることの難しさもあるのかもしれませんね。
相手にしてなかった後輩は
生まれた日に
親を亡くしていたなんて
俺の目はどこまで節穴なんだ
そいつに教わった
泣きながらだって進むしかない
出典: http://lyrics.jetmute.com/viewlyrics.php?id=2308884
過酷な現実も見つめながら歌っている部分に、生きることの困難さを感じます。
いつものTAKUYA∞なら、ただひたすら前へ進むことを歌っていたでしょう。
でも過去をふりかえる時、泣きながらだってすすむしかないといういつもとは違う言葉が生まれます。
何が真実か? 何が大切か? 非常に難しい部分に触れながら、泣きながら前へ進むしかないということが歌われているのだと思います。
こんなにも知りたいことが多すぎる
果てしなく興味が尽きない
なんなんだ?
俺は××××先生一族か?
出典: http://lyrics.jetmute.com/viewlyrics.php?id=2308884
この歌の最後、ピー音で自主規制されている部分があります。 ここで歌われているのは、榊莫山(さかきばくざん)という人です。
榊莫山(さかきばくざん)とは誰?
日本の書家であり作家です。 「バクザン先生」の愛称で親しまれ、テレビCMやバラエティなどにも出演した人物です。
20代で書家として頭角をあらわし、頂点にのぼりつめるも、書壇という書の中央から退き、50歳を過ぎてから故郷に戻って独自の創作活動を続けた人物です。
「莫山先生のバクザン発言」などのCMで広く親しまれていました。
TAKUYA∞がここでピー音で自主規制しているのは爆弾発言を繰り返していた莫山先生のようにこの歌で自分の思いを歌っているからかもしれませんね。
でもそういう部分から、榊莫山が見出した山野とともに生きる人生、つまり地元での人生というものも頭をかすめているからかもしれません。
UVERworldのボーカル、TAKUYA∞の幼少期
土や草のある土地で子育てしたいという両親の意向で滋賀県で幼少期をおくったTAKUYA∞。
中学を卒業後、音楽で生活していくことを目指し、地元の仲間とインディーズバンドSOUND極ROADを結成し関西で活動します。
もちろん成功を目指して東京へ移住し、現在も精力的に活動を続けているのですが、土や草という自然にあふれた地元への思いはとても強いものがあるのかもしれません。
実際にバンドで成功し、今もより優れた楽曲を目指して活動を続けるUVERworldのTAKUYA∞。
そんな彼らにも実際には現状からどの方向へ向かうべきか迷う時期もあったのでしょう。
この歌では、そういう故郷を愛するがゆえの思いが伝わってきます。
実際には月の半分を東京で、月の半分を滋賀でという生活をすることもあるという彼。 成功しても自分のルーツを大切にする姿勢はみならいたいですね。