さて、ついに「セシル」が登場しました。
セシルは映画の登場人物、ということですね。
「セシル」という役が登場する映画を探してみると、有名な作品が見つかりました。
それは「悲しみよこんにちは」という映画です。
『悲しみよこんにちは』(原題:Bonjour Tristesse)は、1958年公開のアメリカ合衆国とイギリスの合作による映画。原作は1954年に発表されたフランスの作家フランソワーズ・サガンの同名小説『悲しみよこんにちは』。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/悲しみよこんにちは_(映画)
この映画の主人公が、ジーン・セバーグ演じる「セシル」です。
歌詞を読むと、どうやらセシルは嘘をついたようですね。
ここで、「悲しみよこんにちは」のセシルがどんなことをしたのか、簡単に説明します。
まず、セシルには母がいません。すでに亡くなっているという設定です。
そして、父親のレエモンと2人暮らしなのですが、結構裕福な家庭。
かつ、レエモンには11歳離れた愛人エルザがいます。
この3人で、南仏の別荘へバカンスに行くというのが物語の始まり。
バカンスの先で、セシルはシリルという若者とイイ関係になります。
では、セシルのついた嘘は、このシリルに関することなのでしょうか?
それが、違うのです。
実は、セシルの父レエモンが、亡くなった妻の友人アンヌをバカンス先の別荘に呼んだのがきっかけ。
セシルはアンヌのことを幼い頃から知っており、嫌いというわけではありません。
しかし、レエモンとアンヌが再婚するかもしれないと知ると、セシルはそれを阻止しようと画策します。
父親の再婚を阻止すべく、恋人のシリル、そして父の愛人エルザをそそのかす…。
これが「セシルのついた嘘」なのです。
なぜ、セシルが父親の再婚を阻止しようとしたのか?
その理由も知ると驚くのですが、本筋から外れますので詳しいサイトを紹介するにとどめます。
『悲しみよこんにちは』 フランソワーズ・サガン - トーキョーブックガール
[Bonjour Tristesse] 一番好きな本なんて決められないけれど、一番読み返している本は間違いなく『悲しみよこんにちは』である。 毎年毎年、夏が来るたびに読み返す。 このバカンスの物語は、どうしたって夏の空気の中で読みたいですからね。 夏の旅行にも大抵持って行く。何度も何度も読み返したので、文庫本は擦り切れているし、日に焼けて茶色くなってしまった……。 ちなみに私が持っているのはこの写真(Amazonからお借りしました)の表紙の新潮文庫。1957年に出版されたバージョンだろうか。もともと古いものなのに、もう佇まいが完全にヴィンテージ。 読み返すために、新しいものを購入しようかなあ。…
話を戻しますと、このセシルという少女はかなり大胆なことをしているのです。
主人公は「そんなことはできない」というわけですね。
このことからも、主人公の性格が垣間見えます。
友達以上家族未満
人は大人になるたび 弱くなるよね
ふっと自信を失くして 迷ってしまう
だから友達以上の 愛を捜すの
今夜私がそれに なれればいいのに
出典: セシル/作詞:麻生圭子 作曲:NOBODY
この部分は先ほどの「悲しみよこんにちは」の内容とも少し関わるかもしれません。
それは、セシルの父親レエモンのことです。
レエモンは、娘と愛人とで仲良く楽しく暮らしていました。
しかし、どんな理由かは分かりませんが、かつての妻の友人と再婚をしたくなります。
愛人ではなく、妻が欲しいと思ったわけです。
これが、大人であるレエモンの弱さといえます。
主人公と相手も、少しずつ大人になっていき、いつかそんな「弱さ」を感じるように。
今後の運命を予感しながら、相手が求める「愛」の人物になりたい主人公。
ただその先の一歩、つまり「告白」ができず「いいのに」とただ願うだけなのです。
続いて2番の歌詞
1番で明らかになった、2人の関係性。
このあと、発展はしていくのでしょうか?
続きを読んでいきましょう。
場面転換
頬づえつく手を 変えるだけで
あなたは何にも 話さないね
名字で自分を 呼び捨てする
いつもの私もおとなしい
出典: セシル/作詞:麻生圭子 作曲:NOBODY
場面は変わって、どこかの部屋で向かい合って座る2人。
主人公は相手の話をずっと聴いてあげようとしていたのでしょう。
しかし相手は何も話そうとしません。
もう、言葉に詰まってしまったのでしょうか?
そんな相手につられて、主人公も静かにしているしかないのです。
ところで、自分のことを名字で呼ぶというのは、主人公のことでしょうか?
もしそうだとしたら、ずいぶん元気が良いというか活発というか、ハキハキしている感じがあります。
一方で、相手のことを意味しているのであれば、2人の気の置けない関係性が見えてきます。
いずれにしても、やはり昨日今日ではない付き合いなのでしょう。
いつもの私だったら
ふいに気づく あなたの涙
見ないフリした
出典: セシル/作詞:麻生圭子 作曲:NOBODY
頬杖にしていた手を見ていた主人公ですが、ふと視線を上げると、相手の目元が見えます。
これまでの歌詞の様子ですと、いつもの主人公ならきっとこうしていたでしょう。
- 「なんで泣いてるの?」と素直な感じで聞く
- 「ちょっとねぇ、泣いてるのぉ~?」と、少しからかう感じで聞く
しかし、今日の主人公には、それができませんでした。
なぜなら、相手の気持ちが痛いほどわかっているから。
そして、そこであえて前に出ないのが、主人公らしさです。