中森明菜「難破船」
1987年9月30日にリリースされた19thシングル
中森明菜が歌う失恋ソングの中でも有名な「難破船」は、1987年にリリースされました。
この楽曲はTBS「ザ・ベストテン」では5週連続1位、オリコン週間ランキングでも1位を獲得しました。また、前日本郵政放送大賞最多リクエスト賞や、FNS歌謡祭最優秀歌唱賞など数々の賞を受賞し、中森明菜の代表曲ともいえる作品ですよね。
カップリング曲にはデビューから中森明菜になじみのある作家陣で制作された「恋路」が収録されています。
加藤登紀子からのラブコールで歌うことになったカバー曲
実はこの「難破船」は、中森明菜が歌う3年前にシンガーソングライターの加藤登紀子がリリースしたアルバム「最後のダンスパーティー」に収録されている楽曲です。
作詞・作曲者である加藤登紀子が、たまたまTV番組で22歳の中森明菜を見てその雰囲気に「自分が歌うより曲に合っている」と思い、中森明菜に歌ってもらえるようデモテープを送ったそうです。
すでにリリースされている楽曲だったにもかかわらず、本人は中森明菜が歌えるようにしばらく自身でこの歌を歌わないと決意したそうです。
それほど、熱望されてこの楽曲を歌うことになったんですね。
涙を流しながら歌う理由とは?
近藤真彦との破局が原因との噂も・・。
「難破船」は、加藤登紀子が失恋をしたときに作った楽曲で、壊れた愛に苦しみながら、あなたを忘れられない切なさが歌われています。
中森明菜はこの曲を歌いながら涙してしまうことが何度かあったようです。普段クールに見える中森明菜が涙するほどの理由として噂されたのが、破局を噂されていた近藤真彦との関係ですね。
中森明菜が1989年に交際中だった近藤真彦の自宅で自殺未遂を起こした衝撃は当時を生きていた人なら記憶に残っていると思います。
近藤真彦との破局後の生放送でも「難破船」を歌って涙したことから、あの涙は破局が原因だと言われているのです。
表現者としての実力
しかし、筆者はそういうプライベートが発端であるとは思えません。
中森明菜は楽曲ごとに曲の中の主人公になりきり、全く違う表情や雰囲気を醸し出す”憑依型”といわれているアーティストです。
さらにデモテープを最初に聴いた時にも、この主人公にリンクして涙を流したとコメントしています。つまり、曲の世界に入り込み表現しているからこそ、感情が溢れだし涙を流しているではないでしょうか。
楽曲がリリースされて間もない上の動画でも、涙を流すまではいきませんでしたが、目元がうるっとなっているのは確認できると思います。
「難破船」の歌詞
究極の失恋ソング!
強がっていても苦しいだけ
たかが恋なんて 忘れればいい
泣きたいだけ 泣いたら
目の前に違う愛がみえてくるかもしれないと
そんな強がりを言ってみせるのは
あなたを忘れるため
さびしすぎて こわれそうなの
私は愛の難破船
出典: https://twitter.com/EnkaBot/status/724276071823089664
大好きな人を忘れるために、主人公が選んだのは強がりという行動。
たかが恋。そんなに執着することない。
そんな風に自分に言い聞かせても、やっぱり心のどこかであなたという存在が引っかかっていることが分かります。
心では「まだ好き」という気持ちを、思考で抑えようとしている姿がいじらしくもありますね。
”難破船”とは、船が損傷により本来の目的通り進むことが出来なくなった船のことです。この曲も、失恋で心が傷ついたために、普段通りに生活できない、本来の姿が取り戻せないと歌っているのです。