1、2、4、5行目の歌詞の頭に「ア」行の韻があります。

語尾でなく語頭のみに韻があるのはこの曲の中でサビのみです。

1番ラップ部の歌詞

伸び盛りのヒマワリたち

太陽をオレも見よう
青空の下さぁ行こう
暖ったかい光浴びながら
力強く咲いた花
冷たい雨に打たれても
強く吹く風に吹かれても
ガマンガマンで耐えてこう
大地に根を張り咲いてよう

出典: SONS OF THE SUN/作詞:PASSER・HUNTER 作曲:PASSER

ヒマワリ(=麻波25)の視点からの光景。

楽しそうな彼らの音楽活動の中にも苦しみの時期があったようです。

しかし原点は太陽の光あふれる横須賀の海

そこから始まった仲間との触れ合いは温かさにあふれていたことでしょう。

麻波25の楽曲からにじみ出る真夏の明るさ。

聴く者は思わずその楽しげなパリピ的雰囲気に惹かれます。

その結果…。

SONS OF THE SUN(2002年4月24日)オリコン4位

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/麻波25

多くの人に愛され、このような素晴らしい結果となりました。

ほかにも麻波25はさまざまなバンドとのコラボを果たしています。

そしてじつに斬新な楽曲を生み出しました。

才能と可能性の塊

自らの音楽活動への手ごたえをしっかり感じていたことでしょう。

それがこの前向きな歌詞にも表れています。

それだけに麻波25の解散は多くのファンに惜しまれました。

心機一転?

栄養吸い上げ
大空に向かって突き出せ
空はスッキリ晴れ渡り
ポカポカ陽気のこんな昼下がり
無限に広がる伸びしろ
縮こまらずに背伸びしよう
これから始まる第2ステージ
これからも持ち続ける強い気

出典: SONS OF THE SUN/作詞:PASSER・HUNTER 作曲:PASSER

のびやかで気持ちのいい歌詞

「自分たちらしく上を向いてやっていきたい」

そんな気持ちがうかがえる歌詞です。

ところで最後の2行には新たな気持ちで活動していく気概が見てとれます。

麻波25になんらかの節目があったようです。

じつはこの曲の発表以前にメンバー変動がありました。

OGA-KID (ギター) - 1997年加入、2000年10月に脱退。山嵐へ加入。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/麻波25

麻波25結成年から1年後、新メンバーとして迎えられたOGA-KID氏

しかし3年の活動を経て、なんとあの山に移籍したのです。

音楽性の違いか、円満な引き抜きか…。

そのあたりの事情は定かではありません。

しかしOGA-KID氏脱退後にこの「SONS OF THE SUN」は異例の大ヒット

OGA-KID氏は何を思ったのか…。

しかし山嵐も同時期爆発的人気に

麻波25「SONS OF THE SUN」の歌詞を徹底的に解説!ヒマワリみたいに上を向いて生きよう!の画像

「SONS OF THE SUN」の大ヒット当時、も爆発的人気を誇っていました。

そんな中OGA-KID氏は「YUYA OGAWA」名義で山に移籍

OGA-KID氏について、Wikipediaの「山嵐」ページには以下のように書かれています。

元々は、デビュー当時からバンドの朋友ともいえる麻波25のメンバーだったが、2000年に山嵐に加入。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/山嵐

初期メンバーの脱退&他バンドへの移籍

麻波25にとってこの動きは大きな転機となったことでしょう。

その感情が、どうやら作詞にも表れたようです。

そこには友の新しい門出を祝う気持ちがあったのか。

それとももっと別の複雑な想いがあったのか。

そのあたりは麻波25メンバーにしか知り得ません。

しかし前向きな活動継続の結果「SONS OF THE SUN」は誕生します

ちなみに当時の麻波25の楽曲テイストは南国ラップ寄り。

そして山嵐は和風の重低音ロック寄りでした。

音楽の方向性の異なった2バンド

はた目には見えないメンバー同士の葛藤があったのかもしれません。

2番ラップ部の歌詞