猛り立つ高貴きもの
岩をも砕き
出典: 刀剣乱舞/作詞:茅野イサム 作曲:篤志・渡辺光彦
武蔵坊弁慶が振るったとされる大薙刀の岩融(いわとおし)のパートです。
岩融は豪快な性格なので、興奮した状態を表す"猛り立つ"はまさに戦に興奮している彼そのもの。
挑発的な笑みを浮かべて敵に斬りかかっていく様子が目に浮かびますよね。
岩融はその薙刀を振るい複数の敵を一撃で倒していきます。
岩を"斬る"というより"砕く"という表現がとてもしっくりくるように思います。
石切丸(崎山つばさ)
撃ち込むは 怒り祈り本能
一振りの風
出典: 刀剣乱舞/作詞:茅野イサム 作曲:篤志・渡辺光彦
次は宝刀として伝えられている石切丸(いしきりまる)のパートとなります。
石切丸は戦いは苦手という旨の発言をよくします。
しかし、実際にはかなり強い刀剣男士です。
大太刀を一振りすれば、たちまち敵が倒れていきます。
豪快な"風"を巻き起こす石切丸の一振りが連想できる歌詞となっているのです。
前半の"怒り祈り本能"というのは、かなり深い意味を持っている気がします。
この公演よりもっと後に上演された作品の話となってしまいますが…。
石切丸が戦で人を斬ることに苦悩する場面があるのです。
苦しみ、怒り、刀剣男士とは一体なんなのかと胸を痛めます。
石切丸は刀である頃、苦しむ人々を救うため加持祈祷に使われる存在でした。
かつては人を救うことが役目だった。
しかし刀剣男士となったいま、任務のために敵をたくさん斬らねばならない。
過去と現在との間で苦悩することになりました。
この公演が上演された際にそのあらすじが既に用意されていたかどうかは分かりません。
しかし振り返って歌詞を見てみると、どうでしょうか。
この頃から石切丸はやり場のない気持ちを抱えていたように感じられませんか?
今剣(大平峻也)
この刹那
守るために
出典: 刀剣乱舞/作詞:茅野イサム 作曲:篤志・渡辺光彦
本作において一番苦しんだであろう源義経の守り刀・今剣(いまつるぎ)のパートです。
かつての主を守るどころか彼が自害するために使われたとされる今剣。
史実はさておき、そう言い伝えられているという事実が今剣にとっての"真実"なのです。
守りたかったのに、守れなかった。
そんな苦しい記憶をずっと抱えていたのだと思います。
だからこそ、任務でかつての主に出会った彼は、今度こそ主を守りたいと行動したのでしょう。
かつての主と過ごせた時間は、ほんの少し。
その"刹那"の幸せを守りたかった今剣の胸中を考えるととても切ないですね。
歌うときの今剣の辛そうな表情が印象的なパートです。
加州清光(佐藤流司)
水辺に咲いた
深紅の薔薇よ
出典: 刀剣乱舞/作詞:茅野イサム 作曲:篤志・渡辺光彦
隊長として主からこの部隊を任された沖田総司の愛刀・加州清光(かしゅうきよみつ)のパート。
"真紅"は加州清光を象徴する色です。衣装や目の色、爪も深い赤色をしています。
"薔薇"は愛を表現しているのではないでしょうか。
加州清光は、主から愛されること、主の一番の存在であることを熱望しています。
ほかの刀剣男士と比べても、愛されることに執着している様子がうかがえるキャラクターです。
そんな加州清光は、他の誰よりも薔薇が似合う刀剣男士なのだと思います。
"水辺"というのは、加州清光が自身のことを"川の下の子"と表現することに由来しているのではないでしょうか。
主命は絶対、サビに感じる忠誠
刀剣乱舞 熱く熱く
この身を焦がし
今 駆け抜けてく
刀剣乱舞 永久に永久に
主命 胸に抱きて
この身 燃え尽きるとも
出典: 刀剣乱舞/作詞:茅野イサム 作曲:篤志・渡辺光彦
刀剣男士として与えられた身体。
その命を賭けて主命をまっとうするという忠誠が感じられる歌詞です。
刀剣男士には寿命といった概念は、いまのところ存在していません。
命が消えるとすれば、戦いに破れ破壊された状態。
つまり原作ゲームでいうところの"刀剣破壊"となったときです。
幸い、これまでの刀ミュ作品で刀剣破壊となった刀剣男士はいません。
しかし、毎回彼らは重傷を負いボロボロになります。
一歩間違えば折れてしまう、そんな状態でも敵に向かっていくのです。
その胸には、この歌詞の通り"主命"を果たしたいという強い思いがあるのだと思います。
まさに"必死"の覚悟をきめている刀剣男士たち。
サビを歌い上げる表情に劇中の死闘の数々を重ねると、なんだか込み上げてくるものがありますね。