'MARIA' 愛すべき人がいて
キズを負った全ての者達…
出典: M/作詞:ayumi hamasaki 作曲:CREA
’MARIA'というのは、聖母マリアに向けての言葉のように聞こえますね。
この祈りを捧げているのが、愛するべき大切な人との生活の中で悲しみや苦しみを感じている人のことでしょう。
「全ての者」と括ることで、壮大なスケールで曲が作られていることが伝わりますね。
ここで語られている「キズ」とは、誰かを愛したことで負ったものでしょう。
ただ気になるのは、愛という感情について「~べき」という強制的な表現がなされていること。
自分の意思に反して愛さなければならない事情があったのでしょうか。
はたまたその人を愛することは定められた運命であり、愛さざるを得なかったのかもしれません。
こう仮定すると、「愛することでキズを負う」というのも筋が通っているように感じられますね。
そしてまさに、本人が「大恋愛だった」と語ったことにもつながってくるでしょう。
流れるように過行く季節の中で、ふと立ち止まる
周りを見渡せば
誰もが慌ただしく
どこか足早に通り過ぎ
今年も気が付けば
こんなにすぐそばまで
冬の気配が訪れてた
出典: M/作詞:ayumi hamasaki 作曲:CREA
この「M」がリリースされる前の2000年4月から6月まで描かれた「vogue」「Far away」「SEASON」。
これら絶望三部作と呼ばれる作品からも分かるほど、忙しさやプレッシャーで追い詰められた時期もありました。
1か月や2か月に1度のペースで新曲をリリースしていた時期で、周りをじっくりと楽しんだり眺める余裕もないほど日々が過ぎていくと感じているんですね。
時間に追われ頑張っている人には、共感できる歌詞ではないでしょうか。
歌詞では自分自身だけでなく、周りの人々全員が忙しなく動き回っているように表現されています。
目まぐるしく変化していく周囲の環境が、浜崎あゆみの心も急かしたのかもしれません。
その中で生まれる出会い
今日もきっとこの街のどこかで
出会って 目が合ったふたり
激しく幕が開けてく
出典: M/作詞:ayumi hamasaki 作曲:CREA
せわしない時間の中ふっと息をついて周りを見渡してみると、この街の中でもいろんな出来事が起きていることに気付きます。
あるふたりに目をやると恋愛の始まりを感じられます。
目が合うというは、お互いを意識するということ。
人が出会ってから急速に仲良くなっていく様子を「激しい」と表現しているのではないでしょうか。
ふたりの恋物語が始まっていく様子が分かりますね。
浜崎あゆみと松浦氏も、こんな風に出会ったのかもしれません。
それは特別なことでもなく、その他大勢の恋愛の始まりと同じものでした。
本人が「身を滅ぼすほど」と語っていた大恋愛。
歌詞最後の「激しく」という表現がまさにぴったりなものだったのでしょう。
いつか訪れる
それでも全てには
必ずいつの日にか
終わりがやって来るものだから
今日もまたこの街のどこかで
別れの道 選ぶふたり
静かに幕を下ろした
出典: M/作詞:ayumi hamasaki 作曲:CREA
また今度は別のふたりに目をやります。
そこには、別れを決意した終わりを感じられるふたりがいます。
そして出会いがあれば必ずそこには別れがあることを感じます。始まりがなければ終わりはありません。
しかし、出会ってしまったのなら生死にかかわらず必ず別れが来るものなのです。
愛することの苦しさや切なさが募っていく
'MARIA' 愛すべき人がいて
時に強い孤独を感じ
だけど 愛すべきあの人に
結局何もかも満たされる
'MARIA' 愛すべき人がいて
時に 深く深いキズを負い
だけど 愛すべきあの人に
結局何もかも癒されてる
出典: M/作詞:ayumi hamasaki 作曲:CREA
愛する人がいるということは素晴らしいことですよね。
しかし、片思いでも両想いでも、愛すべき人の目の中に自分がいないときには大きな寂しさを感じることもあります。
それは一人でいる時の孤独とは違って、心が苦しくなるほどの孤独感です。
そしてそんな寂しさや孤独たちが、愛すべきあの人が自分に向けてかけてくれた言葉や仕草であっという間に満たされたり癒されたりしてしまうと歌っています。
相手の行動に一喜一憂してしまう気持ちは共感を呼びます。
恋愛の中の喜びだけでなく、切なさや辛さも深く表現されています。
「愛している」という相手への愛の言葉は綴られていないのに、歌詞からは深い愛が感じられるから不思議ですね。
それはやはり先述したとおり、好きすぎるが故に小さなことで一喜一憂する様子が綴られているから。
他のことが何も手につかなくなるほどに熱中できる大恋愛。
その真っただ中にいる女性特有の心の揺れ動きが丁寧に表現されているからこそ、リスナーにもこうして伝わるのでしょう。
浜崎あゆみ自身もきっと、愛した相手がプロデューサーだったが故に様々な困難に直面したに違いありません。
さらには歌姫として大々的に売り出されていた時期でもありました。
恋愛以外のプレッシャーも相当なものだったと考えられます。
そんな、自分を取り巻く環境全てから受けるストレスを、愛する松浦氏が癒してくれた。
心の底から依存していたのだろうと容易に想像できます。