「風雪ながれ旅」とは
三味線を相棒に冬の厳しい北国を一人さすらう男の姿を歌った曲、それが「風雪ながれ旅」です。
演歌の大御所北島三郎の37枚目のシングルとして、1980年に発売されました。
当時はまだCDが発売されていなかったので、アナログレコードでの発売でした。
作詞は星野哲郎、作曲は船村徹というゴールデンコンビにより生み出された名曲です。
当初は他の歌手が歌うことを想定されていましたが、その歌手が断ったため北島三郎の曲になりました。
NHKの紅白歌合戦では計7回披露されています。
1番の歌詞
破れ単衣に 三味線だけば
よされよされと 雪が降る
出典: 風雪ながれ旅/作詞:星野哲郎 作曲:船村徹
早速歌詞を見ていきましょう。
現在ではあまり耳にしない言葉が続きますので、最初はとっつきにくいかもしれません。
歌い出しから「破れ単衣」です。
単衣は「ひとえ」と読み、裏地のない夏物の着物のことです。もともとは下着だったと言われています。
古典の授業で聞いたことのある人もいるかも知れません。
曲の主人公である男は、夏物である単衣、しかも破れているものを着ているのです。
貧しさを表現していると言ってもいいでしょう。
この曲の舞台は冬の東北なので、とてつもなく厳しい状況が窺えます。
「よされよされ」とは
冬の寒さ厳しい北国で、破れた着物を着ているだけでも寒々しいのですが、さらに雪が降っています。
命にかかわるような厳しさでしょう。
さて、歌詞ではまた耳慣れない言葉が登場します。
「よされ」です。
これは東北地方の民謡「よされ節」に登場する囃(はや)し言葉というものと思われます。
意味については「よしなさい」であるとか、こんな辛い「世は去れ」など諸説あります。
歌詞の状況からは、雪が「この世から去れ」と男に吹き付けているという解釈がしっくり来そうです。
なぜ旅を続けているのか
泣きの十六 短かい指に
息を吹きかけ 越えてきた
出典: 風雪ながれ旅/作詞:星野哲郎 作曲:船村徹
「泣きの十六」についても三味線の名前と捉える説もあるようなのですが、ここではシンプルに年齢と捉えます。
「短い指」とは幼さ、若さの表現ではないでしょうか。
さらにかじかむ指に息を吹きかけ少しでも温めようとする行為を描くことで旅の厳しさを表しています。
現代ならまだ親元にいるのが大多数の16歳という年齢で、男は一人、過酷な旅をしています。
これはなぜでしょうか。
男は三味線を弾いてお金をもらう、流しのようなことをしていました。
風雪ながれ旅のモデル、高橋竹山
「風雪ながれ旅」のモデルとなったのは、高橋竹山という津軽三味線奏者です。
竹山は明治43年に生まれ、3歳の頃にかかった麻疹の影響で半盲目となります。
福祉の十分でない時代に半盲目では就ける職業も限られた状態だったことでしょう。
17歳頃には門付け(かどづけ)と呼ばれる芸人をしながら東北北部、北海道を回っています。
1933年3月2日に三味線引きの仕事で三陸海岸にある玉川の旅館に宿泊中、夜半過ぎに強い地震に遭った。これが昭和三陸地震と呼ばれる地震で宿泊していた宿は津波に襲われて全壊。高橋は地震が収まったあと宿から避難し津波の来る直前に命からがら宿の裏にある山へ避難することができた。
門付けという職業
簡単に言えば民家の玄関先で芸を披露し、お金や品物をもらう大道芸のことです。
竹山は青森に生まれ、半ば視力を失ってからは近所に住む盲目の門付芸人に三味線と歌を習っていました。
そして自らも門付けをして東北から北海道を渡り歩いた、その姿を歌ったものが「風雪ながれ旅」なのです。