「ブラックアウト」

2005年の『ASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN COMPILATION』収録

【ブラックアウト/ASIAN KUNG‐FU GENERATION】嘆きの歌詞の意味を徹底考察!の画像

今回ご紹介する「ブラックアウト」は、2005年にリリースされたコンピレーション・アルバムASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN COMPILATION』に収録。

ASIAN KUNG‐FU GENERATIONが主催するロックフェス、”NANO-MUGEN FES.2005”に出演する全アーティストの曲を集めたものです。

フェスの開催前にリリースされており、これを聴いてフェスの予習をどうぞ、という意図があったのではと思います。

ASIAN KUNG-FU GENERATION主催のロックフェス”NANO-MUGEN FES”

ASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN FES.”は、コンセプトを”日本一敷居の低いロックフェス”とし、ASIAN KUNG-FU GENERATIONが主催しています。

第一回はメジャーデビュー直後の2003年の8月に、新宿ロフトにて開催されました。

新宿ロフトは1976年にオープンした歴史あるライヴハウス。現在ライヴフロアの収容人数は約500名です。

東京のバンドマンにとっては、憧れのライヴハウスの一つでもあります。

記念すべき初めてのこのフェスには、ART-SCHOOL、PEALOUT、椿屋四重奏、HOT SCLAP、そしてASIAN KUNG-FU GENERATIONが出演しました。

2003年は12月にもう一回NANO-MUGEN FES.が開催されています。

以降、ほぼ毎年恒例行事のように行われるようになり、2014年まで開催されていました。

この期間中、2007年だけは初の海外公演を行うなど、多忙を極めていたためNANO-MUGEN FES.は開催されませんでした。

その代わりに、他のフェスに精力的に参加していたようです。

このフェスに伴うコンピレーション・アルバムは「ブラックアウト」の収録された2005年の他には、2006年、2008年、2009年、2011年、2012年、2013年のものがリリースされています。

3rdアルバム『ファンクラブ』にアレンジバージョンが収録

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「ブラックアウト」は、コンピレーションアルバムの他にも、アレンジの違うものが2006年にリリースされた3rdアルバム『ファンクラブ』にも収録されています。

このアルバムは終焉や喪失をテーマとしたコンセプト・アルバムであるということを考えたら、この「ブラックアウト」はアルバムの核をなす曲といえるでしょう。

メッセージ性が高く、作詞した後藤正文は”大切なものを失ってしまうことを嘆いた歌”だと当時語っていたようです。

PVは防犯カメラのような映像や、街中の様々な様子、スーパーかコンビニのようなところで強盗が入っているシーンや、プール、ストリップ劇場、そして平和な通学路などが映し出されます。

後半、その街中に突如として現れる、真っ黒なモザイクのかかった等身大の何か。

強盗も警察も一般の人も、皆それに逃げまどっています。

このPVは後藤正文のお気に入りの作品であるらしく、このモザイクのかかった物体は人々の恐怖みたいなもの、と語っていたそうですが、観る人の解釈にまかせる、ということでした。

謎めいたこの物体、あなたは何だと思いますか?

噂のPVはこちら!

「ブラックアウト」の歌詞

ではここからは、「ブラックアウト」の歌詞を見ていきましょう。

飛び交う記憶と黒い雲 砂漠に弾けて消える
光るプラズマTV 来たる未来の映像

真魚板の鯉はその先を思い浮かべては眠る
光るプラズマTV 来たる未来の映像
降り止まぬ雨は軒先で 孤独に合わせて跳ねる
ボタンひとつで転送 来たる未来を想像する

掻き消してしまわないように
二つの黒い目が夜に輝いても
冬の雪原に茹だる炎天下
鈍る皮膚感覚
僕を忘れないでよ

出典: ブラックアウト/作詞:後藤正文 作曲:後藤正文

この曲が発表されたのは2005年。

プラズマTVの需要がピークを迎えていたころです。

プラズマTVが登場し始めた頃は、こんなにきれいで鮮やかな画面があるのかと市場を驚かせました

その後液晶TVとの低価格化競争、その先にあるシェア争いに破れ、2014年には生産を終了しています。

そして今やTVは有機ELディスプレイ、4Kの時代になりました。

このこと一つとっても、時代の流れによって、失われていくものはたくさんあるということがわかりますね。

皮肉にも、この曲が作られてから10年以上たった今、歌詞の中の”プラズマTV”という言葉がとても端的に、この曲の意味を表しているように思います。

この曲が作られた当時は、プラズマTVといえば憧れの存在。最先端の技術で、新しい時代のTVというイメージでした。

ところが今の小学生などは、プラズマTVというものが存在したということすら知らない、ということになります。

まさに失われゆくもの="真魚板の鯉”状態。もうどうにでも調理してくれと、己の寿命を悟り、自分が去った後の先の未来に思いを馳せながら、その目を閉じます。

現在からは想像のできない、未来の姿を思い描いて。

真冬には、真夏の炎天下の暑さが実感として思い出せないように。

どんどん失われていったものに関する感覚は鈍っていきます。

そして、いつか”僕”も失われた、忘れられた存在になってしまうのでしょうか。

嘆きは尽きることがありません。

真実は知らない

今 灯火が此処で静かに消えるから
君が確かめて
ただ立ち尽くす僕の弱さと青さが
日々を駆け抜ける

321情報が錯綜 真実は知らない
現状と幻想の誕生 明日とその足音
321感情の暴走 現実は逃げたい
想像と妄想の混同 掃いて捨てるモノ

今を掻き消してしまわないように
君のか細い手が弱く羽ばたいても
冬の雪原に茹だる炎天下
鈍る皮膚感覚
僕を忘れないでよ

出典: ブラックアウト/作詞:後藤正文 作曲:後藤正文

今日もどこかで、また何かが失われていきます。

その最期の時を、見届ける勇気も必要です。

時の流れた変化についていけなかったら、現代社会では勝ち抜いていけません。

失われたものを忘れられない、切り捨てられないでいたら、過ぎ行く日々から置いて行かれてしまいます。

たくさんの情報が飛び交う毎日。

その中から自分に必要なものだけを得て、明日に向かいます。

それが真実がどうかではなく、自分が信じられるものを選んで。

逃げ出したい現実がほとんどだけれど、都合のいい想像、そして妄想で毎日を乗り切ります。

それらが傍から見たら、くだらないものだということは百も承知で。

灯火が消えるから……