このあたりのメロディの切なさがたまりません。
サビへ向かうブリッジなのですが妖艶な歌謡曲のワクワクするところ。
こうしたツボを押さえている点はさすが桑田佳祐と思わせます。
中村雅俊は情感を込めても熱くなりすぎない歌唱が素晴らしいです。
桑田佳祐にこの曲を歌って欲しいというリクエストに本人が「雅俊の歌を聴いてくれよ」と答えています。
桑田佳祐がこの曲をライブなどで歌うようになったのは随分後のことでした。
気のないフリをした女性の仕草が可愛く思える。
普通なら「脈なし」だと気持ちが萎縮するのでしょうが自分に自信がある男性は捉え方が違うのでしょう。
呼び覚まされる感傷
鮮烈なサビで目が冴える
愛だけが 俺を迷わせる
恋人も 濡れる街角
出典: 恋人も濡れる街角/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐
会心の一撃。
フックの効いた素晴らしいメロディによるサビです。
桑田佳祐は「愛」ではなく「ああ、いい」という肉感的な言葉にしたかったという逸話が遺っています。
結果的に「愛」に落ち着いてよかったようです。
当時はこうした肉感的な言葉に対しての免疫がなかった社会でしたから。
肉感的な言葉が採用されて大ヒットを迎えていたらその後の日本語というものが変わっていたでしょう
中村雅俊という歌い手は決して巧さで聴かせる人ではありません。
しかし中村雅俊にしか出せない味というものがあるのです。
声域が狭いのでしょうが擦り切れるような声が味になっています。
馬車道という完璧なロケーション
港町とJAZZのメロディ
港の街に よく似た女がいて
シャイなメロディ 口ずさむよ
通り過ぎりゃいいものを
あの頃の Romance 忘れず
ああ ときおり雨の降る
馬車道あたりで待っている
もうこのままでいいから
指先で俺をいかせてくれ
出典: 恋人も濡れる街角/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐
この歌が発表された頃の横浜はまだまだ港町のイメージが強く意識されていました。
港町にはJAZZが流入します。
馬車道あたりの街角には老舗のJAZZバーがいっぱいありました。
浅川マキが定宿にしていた関内エアジンなど。
エアジンでは浅川マキのバックで友川カズキがギターを弾いていたこともあります。
今から振り返るととても贅沢なこと。
子どもも楽しめる伊勢佐木町商店街から道路と鉄道を挟んだ異世界・馬車道。
JAZZが似合う大人の街での恋愛模様、それが「恋人も濡れる街角」の骨子です。
横浜の様々な顔
横浜という土地は地域ごとに町・街の顔や表情が変わってきます。
東京のベッドタウンという静かな顔。
やくざな歓楽街。
子どもも楽しめる商店街の裏通りには海外マフィアが仕切る街が現れます。
健全さとむき出しの欲望が渦巻く混沌とした世界は歌詞の舞台としてとても魅力的なのです。
桑田佳祐がこの街に例えようもない色気を感じたのも無理のない話。
「恋人も濡れる街角」には大分際どい描写があります。
そういった際どさも許容するのが横浜のひとつの顔でした。
中田宏横浜市長の時代に浄化作戦が行われていくつか時代の変化にそぐわない場所は潰されます。
しかし横浜文化が育ってきた「何でもあり」の情景は今でも馬車道あたりに色濃く遺っている。
開発や再開発だけでは街の素顔や素性は案外変わらないものなのかもしれません。
危険な恋と横浜の街
子どもから大人になって初めて知ること
愛だけが 俺を迷わせる
恋人も 濡れる街角
女ならくるおしいままに
恋人も 濡れる街角
出典: 恋人も濡れる街角/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐
仕事を立派にこなす大人の男でも恋愛事情に関してだけはだらしないというか迷いを抱えた人がいます。
仕事を終えて夜な夜な街を彷徨して愛を貪る大人の男の姿。
桑田佳祐は中村雅俊にそんな男性像を投影します。
きっと男として惚れこんでいたのでしょう。
当時の中村雅俊は大人の男の色気が香り立っていました。
舞台の台本などでいうところの「宛書(あてがき)」をしたのがこの歌です。
幼少の頃、この歌がヒットしていたときに「濡れる」の解釈を雨に濡れることだと思っていました。
ところが歳を重ねるごとにその際どい意味を知ります。
これも子どもから大人へのひとつの成長の物語です。
スローなテンポで始まる歌ですが、サビの部分には表現しづらいスピード感を感じます。
おそらく刹那な恋愛のスピード感を表現したのでしょう。
こうした恋愛しかできない人を幸福だとは思いませんが、危険な香りに惹かれてしまうのも事実です。