ラジオドラマとして誕生した「リンゴ園の少女」は、その年に映画化されました。

主役に抜擢されたのが、当時15歳の美空ひばりだったのです。

そして挿入歌だった「リンゴ追分」は、映画では主題歌として使用されました。

1949年には既に映画デビューを果たしていた彼女、この映画が33本目の出演です。

15歳にして30本超えとは、当時の映画界では驚異の存在だったことでしょう。

「リンゴ園の少女」マルミと美空ひばりの共通点

「リンゴ追分/美空ひばり」は音楽好きなら必聴の歌!楽曲の背景&歌詞の意味を徹底解説♪関連動画ありの画像

美空ひばりの父が第二次大戦に出征することが決まり、壮行会が開かれました。

幼い頃から歌が好きだった美空ひばり(その頃は本名・加藤和枝)は、壮行会で父に歌を送ったのです。

その歌声は場に居合わせた人々の胸を打ち、涙する人が続出

母は美空ひばりに「歌」で生きていかせようと考えました。

近所の女性に才能を見出された「リンゴ園の少女」のマルミと重なる部分がありますね。

美空ひばりは10歳にして地方を巡るようになりましたが、その最中に自動車事故に遭って仮死状態に。

活動の範囲を広げていく娘が、再び同じようなトラブルに巻き込まれるのを危惧した父親。

彼は歌をやめろと怒鳴ったそうです。しかし美空ひばりは受け入れず。

「歌をやめるぐらいなら死ぬ」と刃向かったのでした。

ルミは祖父を思って歌をやめましたが、美空ひばりは父の願いを突っぱねて歌を続けることを決意。

やめろと言われずにやめたマルミ、やめろと言われてやめなかった美空ひばり。

自分の気持ちを最優先にした行動だと考えれば、これもまた共通項と言えるでしょう。

「リンゴ追分」の歌詞に込められた思いは2人分?

「リンゴ園の少女」のストーリーをなぞっていると思われる「リンゴ追分」。

少女が亡き母を思う悲しい曲です。

しかし深く読み込んでいくと、少女のものではない「願い」を見つけることができました。

儚く散る花と命

リンゴの花びらが 風に散ったよな
月夜に月夜に そっと え―――
つがる娘は ないたとさ
つらい別れを ないたとさ
リンゴの花びらが 風に散ったよな
あ―――

出典: リンゴ追分/作詞:小沢不二夫 作曲:米山正夫

リンゴの花をご存知でしょうか。

都市部で暮らしているとなかなか見かける機会に恵まれません。

津軽地方でリンゴの花が咲くのは4月の終わり〜5月の初め頃。

ちょうど青森県弘前市で「桜まつり」が開催される時期に重なります。

筆者は一昨年桜まつりを訪れた際にリンゴ園に咲くリンゴの花を見かけました。

一見、桜に似ていますが、その生涯は桜とは異なると知りました。

桜は蕾から開花して、花が散って葉が出てきます。しかしリンゴは葉が先、それから開花なんだとか。

桃色の蕾から花が開くと色が薄くなり、花が開ききるにつれて白くなっていきます。

リンゴの花の命は短く、2〜3日で自然に落花してしまうそうです。

歌詞にあるリンゴの花びらは、自然に落ちるのではなく夜風によって散ってしまいました。

リンゴの花は「リンゴ園の少女」でいう亡き母を意味しているのでしょう。

母との別れは、娘に物心がついた後に訪れたのだと思われます。

胸に刻まれた悲しい思い出です。

雪国に訪れる春の景色

お岩木山のてっぺんを
綿みてえな白い雲が
ポッカリポッカリながれてゆき
桃の花が咲き さくらが咲き
そっから早咲きの、リンゴの花ッコが咲くころは
おらだちのいちばんたのしい季節だなや―

出典: リンゴ追分/作詞:小沢不二夫 作曲:米山正夫

ここからは「歌」ではなく「語り」「セリフ」のセクションです。

美空ひばりが丸やかな高い声で、ゆっくりと語り始めます。

岩木山にも春が訪れて、優しい春風が雲を連れて去っていく景色。

山には雪が残っていることでしょう。その白い雪を背景に、花が咲き始めます。

津軽の長い冬の終わりを告げるのは、花々の開花なのでしょう。

これからは実りの季節、過ごしやすい季節、人々が心待ちにしていた季節です。

散る花と母を重ねる少女

だども じっぱり無情の雨こさふって
白い花びらを散らすころ
おら あのころ東京さで死んだ
お母ちゃんのことを思い出して
おら おら……

出典: リンゴ追分/作詞:小沢不二夫 作曲:米山正夫

「じっぱり」とは、下北弁や秋田弁で「たくさん」を意味するそうです。

下北地方は津軽地方との間を奥羽山脈で隔たれていて、方言に違いがあるといいます。

そのため「じっぱり」は津軽への流入がなかったと考えられます。

しかし津軽の南、秋田地方では「じっぱり」が使われている。

2つの地域に挟み込まれる形で津軽にも「じっぱり」という方言が一部浸透しているのかもしれません。

強い花散らしの雨がリンゴの花びらを叩き、冷たい地面に落としていきます。

リンゴの花の命は短いけれど、雨が降らなければあと少し咲いていられたはず。

しかし雨のせいで、寿命を迎えることなく散ってしまったのです。

やはり、リンゴの花は母の比喩。娘を産んでまだ人生これからという時期に、命を落としたのでしょう。

しかも、津軽にいる娘とは離れた東京の地で亡くなったと見て取れます。

雪深い東北では、当時出稼ぎ労働は珍しくありませんでした。

母親は出稼ぎのために上京していたのかもしれません。

父親がいない娘を立派に育てるために、稼ぎに出ていたのです。

自分のために懸命に生きていた母の途絶えた命と、雨に散らされたリンゴの花を重ねています。

隠された1つの「願い」

つがる娘は 泣いたとさ
つらい別れを 泣いたとさ
リンゴの花びらが 風に散ったよな
あ―――

出典: リンゴ追分/作詞:小沢不二夫 作曲:米山正夫

亡き母を思い出し、悲しみにくれる歌。単純に読み解けばそのようになるのでしょう。

しかし、もう一歩深く読み込んでみます。

リンゴの花は1つの枝にいくつか咲くそうです。しかし中央の1つを残して全て摘んでしまいます

これは「花摘み」という作業で、美味しいリンゴを実らせるには必要な工程です。

なぜ綺麗な花を摘んでしまうのでしょうか。

冬の寒さに耐えたリンゴの木は養分をたっぷり蓄えています。

春先に咲くリンゴの花はこの養分を吸って美しく咲きますが、花の数だけ養分が必要です。

花が多いとリンゴに与える養分が減ってしまい、いいリンゴが実らなくなってしまいます。

だからわざわざ花を摘み取るのです。

リンゴの花は散り際、何を思うのでしょうか。きっとリンゴの成長でしょう。

つまり、母は死ぬ間際に娘の無事な成長を願ったのだと思います。

「リンゴ追分」は、娘が母を思う歌でもあり、母の願いが込められた歌でもある

そう読み解きました。