三浦透子とコラボした「グランドエスケープ」

2019年公開の新海誠監督の大ヒット映画『天気の子』の挿入歌となった「グランドエスケープ」。

RADWIMPSと三浦透子がコラボしたスペシャルな楽曲です。

切ないピアノのフレーズ上で、デジタルサウンドが途切れ途切れに聴こえてきます。

とても幻想的で壮大な曲です。

前半は三浦透子がしっとりと歌い上げます。

彼女の透明感あふれる歌声は心のドアをノックするようです。

そしてラストでは、三浦透子と野田洋次郎が声を張り上げて一緒に歌います。

まるで、地球に向かって壮大なメッセージを伝えているようにも感じられます。

この楽曲が具体的に何を伝えているのか?

歌詞を徹底考察していきます。

タイトル「グランドエスケープ」の意味は?

「グランドエスケープ」は英語で書くと「Grand Escape」となります。

Grand=壮大な、Escape=逃亡、脱出という意味です。

なのでグランドエスケープ(Grand Escape)は壮大な脱出劇と訳すことができます。

歌詞の主人公たちは何から脱出するのでしょうか。

さっそく1番の歌詞から紐解いていきましょう。

グランドエスケープの1番Aメロの歌詞

人類の本質に鋭く切り込む!

空飛ぶ羽根と引き換えに 繋ぎ合う手を選んだ僕ら
それでも空に魅せられて 夢を重ねるのは罪か

出典: グランドエスケープ/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎

冒頭から雄大な視点の歌詞ですね。

人類は翼がないので、鳥のように空は飛べません。

しかし、その代わりに手を重ね合わせることができます。

鳥は手を握り合うことと引き換えに翼を手に入れたのでしょうか。

人類は翼を捨てた代わりに相手を想いやることができたのでしょうか。

洋次郎の作る歌詞には考えさせられますね。

とても豊かな発想だといえるでしょう。

“それでも〜”のあとの歌詞から、一旦は空をあきらめたけれど、やっぱり未練がある様子が窺えます。

失ったものを捨て切れなかったり、執着したりすることは人間の本質を表しているようです。

こういった表現がとても洋次郎っぽいところだといえいます。

「一度あきらめた夢を再び追い求めるのは罪なの?」

人生観や哲学に通じる深い問いかけです。

挿し込まれた切ないラブストーリー

夏は秋の背中を見て その顔を思い浮かべる
憧れなのか、恋なのか 叶わぬと知っていながら

出典: グランドエスケープ/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎

先ほどとは打って変わってとてもロマンチックな言葉が紡がれています。

夏と秋を擬人化すると、切ないラブストーリーが浮かびあがってくるようです。

夏はどんなに想い恋い焦がれても、決して秋に会うことはできません。

秋が出てくると、夏は消えてしまうのですから。

お互い確かに相手を感じながらも、一緒に存在することは一生叶わないのです。

しかし、叶わないとわかりながら恋をしてはいけないと誰が決めたのでしょうか。

「恋する心を批判する権利は誰も持っていない!」

切ないメロディにはそんな強いメッセージが込められていると思います。

この部分の歌詞だけで、1つの物語がみえてきますね。

洋次郎の大きな才能に触れることができたような気がします。

「あなた」の存在を肯定

通り雨が通り雨と 木漏れ日たちが木漏れ日と
名乗るずっとずっとずっと前から あなたはあなたでいたんだろう?

出典: グランドエスケープ/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎

“通り雨”や“木漏れ日”に名前が付いたのはいつでしょう?

何百年も前のずっと昔だと思います。

それよりもっと前からあなたが存在しているとは一体どういうこと?

あなたがずっと昔から居たということでしょうか。

どちらかというと、あなたの存在は決して否定できないと強調しているように感じられます。

さらに、この歌詞をもっと深読みしてみましょう。

人間も、雨も、木漏れ日も、名前が付くことで他の人から認知されやすくなります。

でも、名前がなくてもそれぞれの存在自体は否定できません。

名前や言葉よりも存在そのものの方が大事なのではないでしょうか。

そんな疑問を歌っているのだと思います。

歌詞で使われている言葉には難しいものはひとつもありません。

しかし深く考えると、これは近代哲学に通じるような考え方ではないでしょうか。

この歌詞を紐解くキッカケになる哲学の仮説をひとつ紹介します。

哲学といっても簡単に説明するだけなので心配しないでください。

歌詞とサピア=ウォーフの仮説の関係