若かったあのころ何も怖くなかった
ただ貴方のやさしさが怖かった
出典: 神田川/作詞:喜多條忠 作曲:南こうせつ
2番の歌詞のサビも作詞者・喜多條忠の思いを代弁するかのような歌詞で締められています。
当時の20歳そこそこの男性。
学生運動に情熱を傾けている、まさに怖いものなしの無頼漢です。
自分の思いこそが全て正しい。間違っているのは世の中だ、という間違った正義感。
若さは無限のエネルギーとなって徹底的に社会と距離をとっていきました。
そんな最中に一緒に住むことになった主人公の女性と出会いました。
欲しいものは何でも手に入れる、そのためには争うこともいとわない。
男性は確かに数々の戦いを経て、今の満足を手に入れました。
しかし、その時の勢いだけで満足させられないものがあったのに初めて気づいたのです。
それが命懸けで手に入れたはずの主人公でした。
男性は大いに悩んだのでしょう。
このやるせない思いをどうしたらいいのか。悩みに悩んだのでしょう。
男のわがままに主人公はやさしく終止符を打った
そんな男性の葛藤に終止符を打ってくれたのが主人公の女性だったのです。
自分を奪い取ってくれた男性が、自分のことで委縮してダメになっていくのを見逃さなかったのです。
主人公の前で優しく振舞ってくれた男性には痛く感謝していました。
でも、自分が原因で彼がダメになっていくのを見ていくわけにはいかない。
それならばいっそのこと、男性の前から消えてしまおう。
そうやって女性は、男性の前からプツンと消息を絶ったのです。
強がっていた男性のプライドを壊さない形にして。
歌詞の最後のサビは、全てを覆いつくす主人公の無常の愛の力を「怖さ」と悟ってしまった男性の思いだったのです。
時代の記憶
「ニューミュージック」へ
一世を風靡した「四畳半フォーク」の終焉は、あっけないものでした。
その理由は、世の中が急速に豊かになったから。
国民的規模でもたらされた経済的余裕は、若者の関心を消費生活、つまり物欲の充実に向かわせます。
若者たちは消費生活を犠牲にする「同棲」をしてまで、社会に抗(あらが)うことをやめました。
過去に追いやられた学生運動に郷愁を感じることもない彼らが熱を上げたのは、都会的な「ニューミュージック」。
重苦しい生活感を排した、ファッショナブルな歌詞とサウンドが特徴です。
荒井由実が1stアルバム「ひこうき雲」をリリースした75年、「かぐや姫」は解散します。
受け継がれる精神
21世紀の現代に「四畳半フォーク」はそぐわないでしょう。
しかし「平凡な毎日」の素晴らしさを歌い、若者の心に寄り添うフォークの精神が消えることはありません。
90年代後半ムーブメントを起こしたネオ・フォークのアーティストたちは、J-POPの主流であり続けています。
アコースティック・ギターを抱えた彼らの曲に、奇をてらった過激なメッセージはありません。
「四畳半フォーク」の精神は、今の音楽にしっかりと受け継がれているのです。
まとめ
いかがでしたか?
かぐや姫が生み出した名曲の魅力に、存分に浸っていただけたことと思います。
この楽曲を通してフォークソングに興味を持った方。
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「かぐや姫」の名曲「なごり雪」
女性フォークシンガーのイルカが歌ったことで知られているこの曲。
もともと「かぐや姫」の曲。「かぐや姫」のメンバー、伊勢正三が作詞・作曲したものです。
1974(昭和49)年に発売された「かぐや姫」の大ヒットアルバム「三階建の詩」に収録されました。
「22才の別れ」「赤ちょうちん」といった名曲が収録されています。
後世に歌い継がれている「なごり雪」を、なぜイルカがカバーしたのか?
OTOKAKEライターが解き明かした記事です。