この頃からビジュアル系としての衣装やメイクが施されるようになり、1979年の「恋のバッドチューニング」では、当時まだめずらしかったカラーコンタクトを装着するなど、カラコンの先駆者でもありました。
カサブランカ・ダンディ
TOKIO
29枚目のシングル「TOKIO」1980年。作詞はコピーライターの糸井重里さん、作曲はワイルドワンズの加瀬邦彦さん、編曲はベーシストの後藤次利さんです。斬新なコスチュームと編曲で新しいテクノの時代を感じさせました。
1980年までのバックバンドは井上堯之バンド
1971年にGSの元メンバーで結成されたPYGが前身。当時は萩原健一さんがボーカルでしたが、俳優として多忙になったため沢田研二さんをボーカルに起用したのが始まり。この頃までの曲はすべて沢田研二さんのバックバンドとして演奏しています。グループサウンズの名残りのメンバー構成なのですね。有名なところでは、テレビドラマ「太陽にほえろ!」や、「傷だらけの天使」のテーマ曲などがあります。
次のバンドはエキゾティクス(Exotics)1980-1984
ジュリーの傾向性の変化に合わせるかのように、エキゾティクスはジュリーをバンドの一員と見立て、さらにビジュアルとサウンドの格好良さを追求しました。メンバーは、ベーシストの吉田健さんをはじめ、ドラムに上原裕さん、キーボードに西平彰さん。ジュリーのバックバンドのあとの活躍も素晴らしいですね。
吉田健さんは元々、りりぃ、坂本龍一、そしてナイアガラトライアングルなどと活躍していましたが、このあとは氷室京介さんのプロデュースをきっかけにプロデュース業を本格的に開始されています。上原裕さんも元はシュガーベイブのメンバーで、このバンドのあとは大瀧詠一さん、忌野清志郎さんと活動されています。西平彰さんも、このあと吉川晃司さんや氷室京介さんのアレンジャーとしてご活躍でした。
おまえがパラダイス
ストリッパー
新しいバックバンドJAZZ MASTER(1989-1995)でさらなる進化を遂げて
新しいバックバンドJAZZ MASTERは、バンドブームの火付け役となったテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」(イカ天)の審査員役だった吉田健さんと村上ポンタ秀一さんをはじめとする素晴らしいキャリアのミュージシャンで構成されていましたね!演奏もお楽しみください。