RADWIMPSらしい言葉遊びが面白いですね。
童歌の「あんたがたどこさ」を引用しています。
しかし、冒頭のフレーズ以外はよく見ると歌詞が違いますね。
「庇護(ひご)」はかばって守ること。
「贔屓(ひいき)」は気に入った方へ肩入れすること。
自分を守りながら生き抜いた結果、現在に虚しさを感じているのでしょうか?
「自由」を羨ましく思っている。
裏を返せば、自分が「自由」でないと感じているのが読み取れますね。
今まで生きてきた人生も現在も「何かに抑え込まれた感覚」を持っているのでしょう。
心の解放を求めているのかもしれません。
信じられなくなってしまう
見えてるものより見えないもの
知ってることより知らないことの方が
多いとは言うが そりゃどうだろうかもう
疑うことばかり うまくなっても
出典: 洗脳/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
「井の中の蛙大海を知らず」ということわざもあるように、物事の本質は見えていないことが多々あります。
そのことを、このフレーズの前半では言っているのでしょう。
極端な表現をすると「天狗になるな」とか「調子に乗るな」という意味合いで使われる言葉。
しかし、それを突き詰めると今度は何も信じられなくなってしまいます。
この楽曲の主人公は決して器用ではない人物像。
だからこそ、こういった助言はむしろ神経質を加速させてしまうのではないでしょうか。
そもそも何で信じてはダメなの?
信じて何が悪いの?
信じたっていいでしょう? 違ってたって何なの?
だからっていいことがあるわけじゃないんだし
幸か不幸かどうかは 僕に決めさせてよ
他は好き勝手 決めさせてやってるんだからさ
出典: 洗脳/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
自分が信じているものに対する「批判」。
批判する側はそれが 「正義」だと信じて主張していることが殆どです。
しかし、「信じるものが一致しない」からといって「批判する」必要まではないはず。
どんなに偏った思想でも、生き抜くために必要なバランスをとった結果なのです。
本当に相手のためなら、相手が自力で立ち上がれるまでサポートしてあげるのが筋ではないでしょうか。
ましてや、この楽曲の主人公はそもそもサポートすら求めていません。
むしろ今の状態で安定しているようです。
それを闇雲に批判するのは「思い通りにしたい」というただのエゴなのかもしれませんね。
争いごとの殆どは「正義」だと信じる事柄の不一致から起こるのではないでしょうか?
2人は平行線をたどる
僕が怖いのかい なんで泣くんだい
理解ができない? それは僕も一緒さ
「目を覚ましてよ」 何を言ってんの?
一語一句違わず その気持ちも一緒さ
出典: 洗脳/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
先ほど批判した人物「君」は今度は泣いているようです。
「僕」の視点から見ると、被害者ぶっているような印象を受けますね。
どうしても2人の価値観の違いは埋められず、平行線をたどっています。
「君」の視点になればまた違う言い分もあるのかもしれませんね。
いずれにせよ、価値観の不一致を強制的に解消しようとしているのでしょう。
「無償の愛」が受け入れてくれる
何も違わないんだ僕ら そうだ、泣くことなんてないんだ
だから ママ顔上げて さぁ笑ってや
「幸せになってくれさえすればいいって」さ
言ってた 今僕は言うよ心から
ハッピー ハッピー ハッピー ハッピー
出典: 洗脳/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
ここで「母の無償の愛」が登場します。
「正解」があるから「間違い」は生まれてしまう。
でも過去の母は「幸せ」であれば「正解」も「間違い」もないという、無償の愛を示してくれたようです。
しかし、最後の「ハッピー」はなんだか不気味な印象を受けますね…。
心の底から幸せというより、ちょっと皮肉な意味合いなのでしょうか?