「DAYDREAM」ってどんな曲?
「ジュディマリ」という略称で愛される日本のロックバンド「JUDY AND MARY」。
彼らがシングル「DAYDREAM」をリリースしたのは1994年でした。
平成初期に結成されたバンドが、平成初期に出した通算3枚目のシングル。
この曲によって「ジュディマリ」は音楽テレビ番組「ミュージックステーション」に初出演を遂げています。
オリコンチャートランキングも、本曲以降のリリース曲は一気に順位を伸ばしていきました。
「DAYDREAM」によって「ジュディマリ」が日本を代表するバンドになったといっても過言ではないでしょう。
「DAYDREAM」の歌詞を徹底解説!
ただただ「マイナス」な印象を与える始まり
暑い真夏の空 アスファルト溶かし…
しゃがみこんだ あたしは
白く… 消えていく…
出典: DAYDREAM/作詞:YUKI 作曲:恩田快人
舞台は夏。
近年では日本最高気温が埼玉県熊谷市で41.1℃と更新されました。
毎日のように1日の最高気温が35℃を超える猛暑日が記録されるという報道も…。
しかしそんな暑さの中でも、学生や社会人は、汗をかきながらも動き続けます。
特に苦しい時こそ大きく成長する最高のチャンス。
努力や行動を継続することで、より良い自分自身がつくり上げられていきます。
皆が上を向いてひたむきな姿勢になっている中、この歌詞の「あたし」はむしろ正反対。
立ち止まり、しゃがみこんでしまいます。
さて、最後の一行の「白」は何を表しているのでしょうか?
熱いアスファルトによって水は気化して水蒸気に状態変化します。
この水蒸気は再び周囲の空気に冷やされて液化することで水に戻り、雲のように霧状に浮遊。
これらが「あたし」を包み込んだのかもしれません。
もしくはあまりの酷暑のため、「あたし」もアスファルトと同じように溶けたということも…。
固体から液体へ、液体から気体へと、実体のないものに変わっていく例えとも捉えられますね。
いずれにせよ、「あたし」の状態は明らかに周囲の人間とは異なる状態です。
どこか負のスパイラルの感情に包まれているように思えてきませんか?
夢か現(うつつ)か
しんきろうの 真ん中で
いつか 汗ばむ体を包んで
暑い風が 1人きりの あたりをおいてく…
出典: DAYDREAM/作詞:YUKI 作曲:恩田快人
「蜃気楼」と書いて「しんきろう」と読みます。
「蜃気楼」は光の屈折が原因で、本来は存在しないものが見える現象のこと。
アスファルトの熱によって空気の密度が変わり、物体の下に像が見えるようになります。
「あたし」の像は、まるで固定されている地面に閉じ込められた悲劇のヒロインのよう。
自分を救ってくれる風を待ち続けますが、夏は冬ほど風が多く吹きません。
時々吹くような生暖かい微風程度では救われなかったのでしょう。
空間的にも時間的にも取り残された切羽詰まった状況。
自分の存在意義とは一体何なのか?
心理的な絶望状態を表す言葉として、「蜃気楼」という語句は最適に思われますね。
助けが届かない
清らかなままで いられない都会に
夢のように さけびは届かないままで…
出典: DAYDREAM/作詞:YUKI 作曲:恩田快人
「郷に入れば郷に従え」ということわざがあります。
他の環境に移った際はそこのルールに従うのが賢いぞ、という教え。
「DAYDREAM」を執筆したYUKIは北海道生まれで北海道育ちの人間です。
函館という空間に慣れ親しんだ彼女が、音楽で東京へ進出。
YUKIにとって、この東京はどのような場所に感じたのでしょうか。
北海道と東京。
同じ日本という国に属してはいますが、まったく異なる世界だったと思います。
風土も習慣も、距離感も時間も…。
何もかもが違う世界にポツンといると、助けを求めたくなるのも理解できますね。
人もインフラも大量に密集している世界的大都会である東京。
助けを求めてもその声は滅多に届きません。
声を発しているはずなのに相手に聞こえない風景は、夢でよくみるものです。
どこか辻褄が合わなく、現実と夢との境界線が揺らいでいるのではないでしょうか。