こちらの動画は、Aimerさんが大好きな曲のひとつ「いきのこり●ぼくら」ギター1本で歌っているのは「誰か、海を。」の作詞者・青葉市子さんです。

すごく聴き心地が良いメロディーに乗せられている歌詞は、よく聴くとドキッとするシリアスさをはらんでいるのが特徴です。

青葉さんはこれまでに、歌手・大貫妙子さんのアルバムバンド・クラムボンのアルバムにも参加。

また、NTTドコモ・キューピー・ユニクロ・無印良品など、多くの有名企業のCM音楽にも携わっています。

Aimer「誰か、海を。」歌詞の意味とは

「誰か、海を。/Aimer」はアニメ○○のED曲!作詞・作曲はなんとあの人…?!歌詞の意味にも迫る!の画像

こちらの画像は『誰か、海を。EP』通常盤のジャケット写真。Aimerさんはこの写真のようなイメージで「誰か、海を。」を歌い上げました。

青葉市子さんの作詞した表題曲「誰か、海を。」の歌詞は、控えめに言っても難解Aimerさんご本人でさえ「理屈付けて歌うのは野暮だ」という趣旨の発言をしています。

今回は「誰か、海を。」の歌詞をご紹介しつつ、その世界観に可能な限り迫ってみましょう。

解釈不能!?海波に飲まれていくように……

イントロは海に波が静かに立ち始めたような印象。それが徐々に強い荒波となり、しまいには大波に飲まれて溺れてしまう……。

そんな息苦しさを感じさせる「誰か、海を。」の歌詞で「静」から「動」へ移り変わる前半部分をご紹介します。

誰か海を撒いてはくれないか
ぼくの頭上に
沈んでゆく魚と太陽を
浴びたいのだ

あざやかな未知
躓いて消える魔法
プレパラート越しに見える
ひび割れた空

廃墟の屋上に
辿り着く綿毛の
囁きをかこむ
ぼくらはうた

灰色の地上に
飾られたひかりの
轟きを纏う
ぼくらは花束

毟られた翼を

出典: 誰か、海を。/作詞:青葉市子 作曲:菅野よう子

<ぼく>は頭上に<海を撒いて>もらうことで<太陽を浴びながら>死んだ魚とともに沈んでいきたいのです。

<未知>の世界は鮮やか過ぎて見つめることができない。

廃墟の屋上に辿り着いた<綿毛>は、根を張り花を咲かせない。

いくら<ひかり>で飾っても<地上>は<灰色>に過ぎない。

これらが示すのは、すべて「絶望」です。

しかし<ひび割れた>空にもかかわらず、見上げてしまいます。<ぼくら>は歌うように、花束を捧げるように生きてしまいます。

自分たちのことを天使だなんて思うわけではないけれど、軽やかに動き回るための<翼>は、もう毟られてしまったのに……。

この<毟られた翼>という表現も「絶望」ですよね。

「海に沈みたい」という気持ちは、たとえば「死にたい」という希死念慮とは少し異なるように思えます。

こちらの歌詞のあと、バックで流れていた伴奏とスクラッチノイズはピタッと止み、Aimerさんのコーラスと共に再び「静」の時間が訪れます。

ことば
ふきかえす息もなく
艶やかに散る

海鳥
満ち引きの真ん中に
嘘つきの星
またたき
導いては突き放し
船を漕ぐ

真夜中の海
残響の潮風と
燃えさかる世界に
頬をうずめ

出典: 誰か、海を。/作詞:青葉市子 作曲:菅野よう子

まだ「静」の時間は続いています。

<ぼくら>が発した<ことば>は誰のためにもならず、どこにも聞こえなくなってしまいました。

ところで、みなさんは天測航法という航海をご存知ですか?天測航法とは星の位置から船の位置を特定する航海術のこと。

星を観測することでしか、もはや自分たちの居場所を知るすべはないのに、何を思ったのか<海鳥>が<嘘>の<星>となって<ぼくら>の邪魔をしています。

海鳥が<導いては突き放>す様子は、まるで<ぼくら>の運命をいたぶり、弄んでいるかのよう。

大波の残響が耳に残る「絶望」の中、<燃えさかる>ように見える希望の無い世界に身をうずめるしかありません。

ひしめく声たちの
うずまきのただなか
手をつなぎ針の雨をくぐるの

暮れてく絶景に
おちてく逆さまの
陽炎とあそび
時間と踊るの

廃墟の屋上に
辿り着く綿毛の
囁きをかこむ
ぼくらはうた

灰色の地上に
飾られたひかりの
轟きを纏う
ぼくらは花束

出典: 誰か、海を。/作詞:青葉市子 作曲:菅野よう子

このあたりから、波が大きくなるように再び「動」の時間が訪れます。

世間の<声>は<ぼくら>の「絶望」なんて知らないし、知ったところで意に介していないのです。

<ぼくら>はたった2人で<針の雨>をくぐるような苦痛の人生を生きるしかありません。

<落ちていく>ような思いをしながら生産性の無い<時間>を弄んで生きるしかありません。

廃墟の屋上に辿り着いた<綿毛>のように。灰色の地上に捧げられた<花束>のように……。

原曲では、この歌詞のあとにサビの歌詞が反復されます。

しかし語順は少しずつバラバラになり、しまいにはまったく意味の無いように思えるフレーズになっていくのです。

それはまるで、海が飲み込んだ人や物をバラバラにほぐし、無限と思える空間へ放りだしていくように。

誰か海を撒いてはくれないか
ぼくらの天井に

出典: 誰か、海を。/作詞:青葉市子 作曲:菅野よう子

「誰か、海を。」の歌詞は最初のフレーズと同じ静かな言葉で終わります。

「誰かに海を撒いてもらうことで沈みたい」というメッセージは、直接「死にたい」と思うよりもっとたくさんの意味をはらんでいるのではないでしょうか。

思い出されるのはダムに沈んだ廃村や廃校。<ぼくら>は現実世界も自分たちも沈めて、過去の遺物にしたいのでしょうか。

迷っているとも悩んでいるとも違う、ただ純粋に「沈みたい」という望み。その望みゆえに崩壊していく精神を描いたかのような狂気。

この歌詞が「ぼくら」という1人称複数描かれたのは、『残響のテロル』の主人公2人を反映しているのでしょう。

「誰か、海を。」の歌詞は、独自の世界観で聴く人を病みつきにさせる力を持っています。

「誰か、海を。」の世界に落ちる

誰か、海を。
Aimer
Sony Music Labels Inc.

美しく狂気じみた曲「誰か、海を。」。歌っているAimerさんの曲の中では他に例がありません。

「誰か、海を。」の世界観は、こうして文章で読むよりも一度聴けば納得できます

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