歌詞R-指定の過去を語ります。

R-指定は大阪府の堺市出身です。

歌詞には「梅田」という地名が出てきます。

まだステージでラップをするようになる以前の話でしょうか。

当時はラップを【生業】として認識していなかったでしょう。

ラップ業界がどういったものなのか。

世間的にどう見られるのか。

何も知らないまま、口を開けばラップを紡いでいたようです。

しかし彼としてはそれがむしろ「強味」だったと振り返っています。

何も分からなかったからこそ、挫折もせずに来られたのでしょう。

そしてもともと口が達者だったこともまた、彼の大きな強みだったのです。

逆境も経験

よく言われたワナビー 所詮小手先 do you remember me?

出典: 生業/作詞:R-指定 作曲:DJ松永

しかし徐々に彼は苦境を体験することになります。

ラップをやれども、評価されない

勉強してラップを続けても、それが報われないのです。

これは非常に悲しいことですね。

人によってはそれを機にやめてしまうかもしれません。

しかしR-指定の場合はそうではありませんでした。

歌詞の最後に「俺のこと、覚えてる?」という表現があります。

そうR-指定は、ラップをやめずに成長したのです。

昔自分を馬鹿にした人たちを、見事に見返しました。

今やR-指定のことを鼻で笑うラッパーはいないでしょう。

R-指定は今や日本トップクラスのバトルMCとして活躍するラッパーです。

そんな彼も、苦境や逆境を乗り越えてきたことをこのパートで表しています。

他とは技量が違う

かつての先輩

この辺りから、先輩という存在が登場します。

これはR-指定のかつての先輩でしょう。

しかしあまりいい思い出は無かったようです。

先輩もまた、駆け出しの彼を応援しなかったのかもしれません。

歌詞中ではその先輩を馬鹿にするようなこんなフレーズも。

あの日のパイセンお元気ですか?
貴方は今も現役ですか?
もう赤玉が出ましたか…
俺のペン先からは今夜も現役のスペルマ

出典: 生業/作詞:R-指定 作曲:DJ松永

これはパチンコ用語で、「打ち止め」を意味します。

つまりもうこれ以上はその台で稼げないということです。

今や先輩も、これ以上伸びないところまで来ているのかもしれません。

このフレーズはちょっとした、R-指定の復讐にも思えます。

かつてはR-指定に偉そうなことを言っていたかもしれません。

しかし今やその面影もないでしょう。

ラップ界隈で圧倒的強者になったR-指定にはかないません。

ラップへのリスペクト

hiphopのヒの字も知らねー
客の前 放り出され たって 4の5の言わねぇ
あの手この手使って最終的に振り向かせる
そこらのクラブラッパーとは格が違う現場たたき上げ

出典: 生業/作詞:R-指定 作曲:DJ松永

R-指定は、とにかくライブで場数を踏んでいることもまた強みの1つです。

それはこの歌詞にもよく表れています。

どんな箱だろうと、どんな客だろうと迎え撃つ

そんな彼の意気込みも感じられますね。

その結果、うまく行かなかったライブも多々あるようです。

しかし彼の言い分としては「それこそが大事」

出来レースのようなバトルにしか参加できないようでは、本物ではないのです。

スキルが無ければお客さんも湧きません。

バトルでは負けます。

そんな当然のことからも逃げているようでは、当然上達もしないでしょう。

R-指定はあえてそのような場から逃げないスタイルを取っています。

そしてラップに正面から向き合い、その場その場を湧かせるスキルを身に着けたのです。

これは純粋にラップへの研究心が大きいことによるものでしょう。

R-指定のラップへのリスペクトがうかがえます。

1つの芸として極めたい

お前の歌詞、幼稚園児の作文
俺の歌詞、広辞苑10冊分
お前のバース、オートチューンがかかってる
俺のバース、いくつも意味がかかってる
ファンブルとスリーポイント
マンブルとスピット
いずれ実証
流行病と末期症状
消しカスの山の頂上
待ち合わせる10年後
ウサギとカメ、リズムネタと話芸

出典: 生業/作詞:R-指定 作曲:DJ松永

今ではR-指定はラップを【生業】としています。

趣味や好きでやっていることの域を超えたのです。

それはひとえにR-指定にスキルがあるからこそ、成り立っています。

しかしその背景には、R-指定なりの考え方があるようです。

それは「【生業】としてやるならとことん極める」ということ。

歌詞を見ても分かるように、彼は本気です。

まるで受験をするかのように勉強し、場数も踏んだのでしょう。

ラップというと、ただ言いたいことを言うだけのように思う人も少なくありません。

しかしR-指定のそれには、明らかにお遊びのラップとは一線を画したものがあります。

言葉の基礎であり、音楽の基礎。

これらを彼はおさえたうえで、中身と技術の伴うラップをしているのです。

これはもはや1つの芸能といえます。

生半可な生き方へのアンチテーゼ