夕方のせわしなさは、きっとくるくると落ちていく夕日の速さにもその一端がある気がします。

もう少し時間が欲しいのに、有無を言わせず1日を終えようとする太陽の強引さにはつい“ああ もう嫌になっちゃうわ”と言いたくなる気持ちはわかります。

どんな言葉をあてがっても やはりあなたにゃ似合いません
ああ どうしたらいいの 教えてよ

出典: https://twitter.com/yonezu_08_bot/status/864958351377133568

『ホラ吹き猫野郎』を聴いていると、この“あなた”というのは、具体的な誰かというより、自分の力ではとうていどうすることもできない大きな存在に対して使われいるように感じます。

それは例えば、先ほど述べたような“太陽”だったり、“時の流れ”だったり。

自分がどんなに抗っても、時は容赦なく流れますし、日は暮れ、宵闇が世界を包みます。

そうした“自分の無力感”“大きな存在へのやるせなさ”が描かれているように、私には思えるのです。

酩酊上々 雄雌違わずお尻を振って踊る
目眩くらくら曼荼羅の空見てぼったくり露天に放火して
上等 ゲラゲラ笑いの止まらぬ明日になあれ!
つまり1、2の3の4で手を叩き
こんなしょうもない日々にバイバイバイ
きっといつかはピカピカ花道
そんじゃまた明日ねバイバイバイ

出典: https://twitter.com/shiroanko_game_/status/918495891488567296

そしてサビ部分の歌詞、これがまた面白くて秀逸ですよね。

ここの歌詞からは、普段は見えない妖怪の類までも、火を囲んで踊り狂っている様子が思い浮かんでしまいます。

イメージは“鳥獣戯画”のような雰囲気で、猫又となった猫や付喪神(つくもがみ)となった杓子などが、酔って前後不覚となった人間と一緒に輪を作っているような感じです。

まるでどうにも思い通りにいかない毎日に、いっそのこと踊ってしまおう!バカになって楽しくやってしまおう!といっているようです。

どんな毎日だって、とにかく最後を楽しんで、あっけらかんと今日にバイバイしておけば、明日は明日の風が吹く、という感じでしょうか。

“ハレの場”は猫も杓子もはっちゃけろ!

じっとできなくなりあなたは言う「ここで花火を打ち上げよう」
やけど塗れの左手に ボロ絹みたいなブリキのバケツ
そんなもんで話も碌々なし 夜のあばら屋突き上げて
尾根の彼方に目を据えて 間抜けに口をぽかんとして

出典: https://twitter.com/6711ussk/status/849306543120142336

何だか悩みの多い毎日を過ごしている人が、先ほどの“楽しそうに踊り狂う”一団をふと目にしたら、どんなことを感じるでしょうか。

それこそ歌詞にあるように“じっとできなくなり”という状態になる気がしませんか。

楽しそうな集団に加わりたい時、周りで見ていた人はつい“ここだったらこのくらいのハメを外しても大丈夫だろう”と思って、当初いた人たちより大きな行動にでてしまうことがあります。

歌詞に出てくる“あなた”は、じっとしていられなくなった挙句、花火を打ち上げようなんて大胆な行動に出ました。

ただそうした大胆な行動は、そもそもそこにいた人たちすらも“ぽかん”とさせること、ありますよね。

でも、そうした桁外れの行動すら、はっちゃけてしまったこの場には受け入れるかもしれないのです。

たんとご覧にあそばせて 猫も杓子もラリパッパ
ああ もう嫌になっちゃうわ
どうであなたは見てもしない こんな睫毛に意味などない
ああ どうしようもないのね 馬鹿みたい

出典: https://twitter.com/mky_rinco/status/896044335900250112

場の雰囲気にのまれて高揚した“あなた”は、なんだかんだとその場に溶け込んだようです。

すると残された曲の主人公は呆れます。そして“ああ もう嫌になっちゃうわ”とつぶやきます。

そして、せっかくあなたのために整えたのであろう“こんな睫毛”も、こんな場じゃ意味がない!私って馬鹿みたい!と諦念しています。

曲の前半で歌っていた“抗えないもの”に対しての“どうせ…という非力感”は、ここでは“あなた”への“非力感”と重ねられて発展します。

おそらく、この“あなた”は男性ではないのかと思うのですが、男性が自分の楽しみに没頭し始めたら確かに彼女は“こんな睫毛に意味などない!”と言いたくなるんですよね。

怒っているのがバカバカしくなってしまう様子が、この部分から感じ取れます。

酩酊上々 白黒構わず踵鳴らして踊る
身なりチャラチャラ痛みの足りないバンカラの鼠を退治して
上等 ゲラゲラ笑いの止まらぬ明日になあれ!
ここで生まれちゃ宵越しの金要らず どんな子も構わず寄っといで
そぞろ歩いてどうしようもないときは 何も構わんままに寄っといで

出典: https://twitter.com/_fvl816/status/925866249602478080

怒っていることがアホらしくなると、自分だって楽しまなきゃ損!という気持ちになります。

そこでこの曲の主人公は、自分も自身の殻を取っ払って楽しむようにします。

毎日を過ごす中で出てくる見えない鎖・見えない壁を、ここにいる時くらいは忘れて、さぁどんな人も何も考えずに楽しもう!という気持ちが伝わる気がします。

まぶたの裏に懐かしい景色が見える

緑青の匂い 夕日が沈む あの日の香り あなたは遠い

出典: https://twitter.com/_fvl816/status/925866249602478080

自分ではどうにもならないほどの大きな波にのまれるような毎日。

そんな毎日を忘れるために、1日の終わりに騒ぎ倒すこと。

実はここまでの歌詞は、昔の思い出を振り返っているようで現実世界のあわただしさや、そのあわただしさをリセットするために行われている饗宴を風刺しているのかもしれません。

自分が本当に“自分自身”を取り戻せるのは、あわただしい夕方を懐かしい香りや音と共に感じていたあの場所だけ…こうした思いを歌詞に散りばめているようにも思えます。

懐かしく思い出す光景は今もまぶたの裏にあるのに、あの頃あの風景にいた“あなた”は遠いところにいる。これは冷静に気づけば気づくほどに、切ない感情になりますよね。

酩酊上々 雄雌違わずお尻を振って踊る
目眩くらくら曼荼羅の空見てぼったくり露天に放火して
上等 ゲラゲラ笑いの止まらぬ明日になあれ!
つまり1、2の3の4で手を叩き こんなしょうもない日々にバイバイバイ
きっといつかはピカピカ花道 そんじゃまた明日ねバイバイバイ

出典: https://twitter.com/shiroanko_game_/status/918495891488567296

楽曲の最後は、サビのリフレインが入ります。

ただここに置かれたサビは、先の解釈とは少し意味合いが異なる気もします。

先の解釈が“日々のこと”について“そんなこと忘れて今を楽しみ明日を待とうぜ”というようなノリだとします。

そうすると、ここでの解釈は“日々のこと”にプラスして“つい感じてしまうノスタルジー”についてすら、“グチャグチャ言っても始まらない”と言っているように思えるのです。

つまるところ、過去のことも現在のことも、下向いて歩いたってしょうがないから、パッと忘れて楽しんで、明日が来たらまたその明日を楽しむしかないじゃない?と言っている感じですかね。

この曲は米津玄師からの“目まぐるしい現代を生きる人への応援”ソングなのかもしれないですね。