アジアの情景
人間の適応能力の素晴らしさ
モンスーンに抱かれて 柳は揺れる
その枝を編んだゆりかごで 悲しみ揺らそう
どこにでもゆく柳絮に姿を変えて
どんな大地でも きっと生きてゆくことができる
出典: EAST ASIA/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
中島みゆきはここで東アジアの情景を描き出します。
多湿な気候であるけれども、緑豊かな土地として東アジアの情景を提出するのです。
この景色の美しさは中島みゆきでも一種の憧憬や誇りを感じます。
ただ、旅をする人物は同じ場所に定着しません。
地球のどこにいても彼・彼女は日々を楽しむことができるのです。
また、生まれた場所を離れても人間は適応能力を示してどこかへ棲みつけます。
その能力こそを褒めてあげたいと中島みゆきは考えるのです。
旅する人の心のありか
でも心は帰りゆく 心はあの人のもと
山より高い壁が築きあげられても
柔らかな風は 笑って越えてゆく
力だけで 心まで縛れはしない
出典: EAST ASIA/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
ただ、旅をする人にも帰属する場所というのがあります。
それは地球上のどこかの土地のことではありません。
ましてや祖国などというものでもないと中島みゆきは考えます。
旅する人でも帰属するのは愛する人そのものです。
たとえふたりの間に大きな障壁というものができても愛する心は気にしません。
隔てられた向こう側にいる人のことを思えるのは人間に備わった想像力という大事な能力です。
だからこそどんなときでも笑顔でいられるのだと中島みゆきは歌ってくれます。
国境を隔ててそれぞれの国のパワーに作用されていても心は無傷じゃないかと教えてくれるのです。
これほどに大きなスケールで物事を捉える能力があれば紛争はいつか消えてなくなるでしょう。
中島みゆきはこうした人間にある根源的な可能性というものに希望を見出しました。
地球が人の愚かさを笑う
世界地図で発見した祖国は小さい
世界の場所を教える地図は
誰でも 自分が真ん中だと言い張る
私のくにをどこかに乗せて 地球は
くすくす笑いながら 回ってゆく
出典: EAST ASIA/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
中島みゆきは各国の世界地図を見比べてその滑稽さを笑い飛ばします。
なぜどこの国の地図も自国を真ん中にするのだろうかと疑問に思うのです。
彼女はフランスで世界地図を見たときに日本が地図の端の方にある小さな国だと自覚しました。
ああ、こんなにも遠い国のことをフランス国民は日常生活では気にもとめないのだろうと思うのです。
もちろんフランス文化の中にも日本からの影響は見受けられます。
反対に日本文化の中でのフランスからの影響もかなり絶大でしょう。
ただし物事はこのように双方向的だと彼女は考えます。
そしてどちらが世界の中心かを考えること自体がつまらない議論だと気付くのです。
地球は何も気にしないのに
中島みゆきは日本以外の世界を見たいからこそヨーロッパに行きました。
そこで中国人に間違われた経験から彼女は学びます。
私はこのヨーロッパでは東アジアの一員に過ぎないと悟るのです。
さらに自分が帰属意識を持っていた国が地図の端のこぼれそうな小さな存在だと自覚します。
地球にしてみれば中心がどこであるかなんて愚かな問題設定なのだと気付く先にこの曲を着想しました。
球体で宇宙に浮いているこの星。
地軸くらいはハッキリしています。
それでも地球自体は地軸さえも特段意識している訳ではありません。
自国中心主義というものの愚かさや危険性を遠く離れた土地の人と会話してみて気付いたのです。
もちろん、この旅をしなくても中島みゆきならば大きな視点にたどり着けたでしょう。
しかしこの曲「EAST ASIA」は旅をしている人が歌うからこそ説得力を持つのです。
視点の移動というものから東アジアを再発見したのが中島みゆきであります。