最高にシビれる一曲!
「Num-Ami-Dabutz」はNUMBER GIRLの定番ナンバーです。
オルタナティブでもありパンクでもある。
最高にロックでラップでもあるという最高のサウンドが追求された一曲になってます。
バンドのサウンド、カッコよさを重視する特性が存分に活かされていますね。
まさにセンスの塊のような一曲。
さて、この曲の歌詞はかなり難解です。
そもそも向井秀徳がなんと歌ってるかわからない。
その上ギターがカッコ良すぎる。
さらに歌詞を調べても難解な言葉や造語が続く。
そこがこの曲の良さだったりするのですが、しかしどうにか歌詞を読み解きたい。
今日はそんなNUMBER GIRLファンの皆さんのニーズに応えていきます。
とはいえ、この曲は歌詞の意味がわからずとも世界観が伝わってきます。
何だか嫌な匂いの立ち込める、冷たい感じというか、人間の汚い感じというか。
ですが、歌詞を読み解くことでより鮮明にその世界観の謎が解けるでしょう。
Num-Ami-Dabutzをよく聴く人、必見です!
痛烈な現代風刺
街が凍っている?!
現代。冷凍都市に住む妄想人類諸君に告ぐ
我々は酔っ払った 今日も46度の半透明だった
出典: Num-Ami-Dabutz/作詞:向井秀徳 作曲:向井秀徳
冒頭からグッと世界観に引き込まれますね。
独特の向井秀徳っぽい節回しというか。
そしてまたイントロのサウンドがカッコいい。
歪んだギターの音でロックな気持ちになれますね。
では歌詞の言葉を紐解いていきましょう。
この曲は現代人へ向けられています。
決して物理的に凍った都市に住んでいるということではありません。
人情味に欠けた薄情者がひしめく現代の都市に住んでいるということです。
この独特の冷たさというか、都会の怖さ、人間の怖さというか。
向井秀徳が好むテーマですね。
そして、「妄想している人類」というところ。
これは物語にすがっている私たち人類のことです。
誰も信じられない、人情味にかけた都会に生きる私たちは常に不安。
そして、何かの物語にすがっていなければいけないのです。
自分は科学的で合理的だと思っている人も同じ。
科学という大きな物語を信仰しているのです。
そして後半に「46度」という単語が出てきますね。
これはお酒のアルコール度数のことだと思われます。
玉川酒造の「越後さむらい」というお酒がちょうど46度ですが関係があるか否かは不明です。
「半透明」という言葉はお酒の色のことだと思います。
我々は無宗教ではない?!
HAGAKURE理論に基づき 吠えたNum-Ami-Dabutz
が成功し 祝うこの世の無常節
出典: Num-Ami-Dabutz/作詞:向井秀徳 作曲:向井秀徳
「葉隠」という山本常朝によって江戸時代に書かれた書物があります。
「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書第11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。後述の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/葉隠
これを読んでもらえれば、ここで葉隠が出てきた意味がわかると思います。
自分は死んでいるようなもの、そう思って判断する。
そうすることで、自分の利害を考えず、真に理性的に決断ができる。
こういったことが説かれる葉隠は、「南無阿弥陀仏」とも関係があります。
南無阿弥陀仏とは、ここでは無常の象徴です。
変わらないものはない。
どんな生き物も、物質もいずれはなくなってしまう。
よってこの世に真に「在る」ものはないのではないか。
そうやって物質からの解脱を図る仏教。
南無阿弥陀仏もそういった無常観によって唱えられるものです。
さて、先ほどの歌詞とつなげて考えてみましょう。
こういった無常観を信じることも、我々の「妄想」に過ぎないのです。
自分を無宗教だと思っているものも同じ。
多くの人類は何かにすがっている、すなわち妄想しているのです。
自分にとっての南無阿弥陀仏
向井秀徳の日常?
同情の果ての冷笑を無視
俺は極極(きわきわ)に集中力を高める必要がある
飯を食うときは新聞を凝視する必要がある
出典: Num-Ami-Dabutz/作詞:向井秀徳 作曲:向井秀徳
ここで歌われているのは、向井秀徳にとっての「南無阿弥陀仏」です。
すなわち妄想ですね。
同情されるのが嫌いで、常に集中力を高めている。
音楽家らしいというか、ロックミュージシャンらしいですね。
そして食事中は新聞を読む。
新聞を読むことは、別にしなくてもいいわけです。
でもしている。
好きでやっているのかと言われればそれも違う気がします。
それを自虐的に妄想であるといっているのではないでしょうか。
妄想とはすなわち自分にとっての世界のことですから。