大切なことですから2回いいましたみたいな構成になっています。
小沢健二という人はライブのMCなどでも感じるのですがいつもユーモアを大切にする人です。
この傾向はフリッパーズ・ギターでのデビュー当時のインタビューからも感じました。
ユーモアというものは物事に新しい光を当てます。
見つめている対象にもどこか可笑しみを見つけられるような人は強いです。
失敗に対して厳しく見据えることも大事でしょう。
しかししかめっ面を続けるために厳しくいるのだとしたら社会は一向に幸福になりません。
究極に望むべきものは誰もが笑顔で過ごせるような社会です。
また今こそ悲劇に見舞われた世界を救わないといけないという小沢健二の想いも透けます。
今日で笑えなかった人をなくすくらいの行動力を示そうとするのです。
日々を漫然と過ごすだけではなくてしっかり意識を持とうという想いでしょう。
「意識高い系」と冷笑主義者が嫌な笑いを浮かべるかもしれません。
しかし冷笑主義者には創造性が決定的に欠けています。
そうした人々の思想の根っこに潜む悲観主義に私たちは滅ぼされてはならないのです。
失敗に潜むポテンシャル
今の作品には「子どもがいる」
可愛い人たち どうしてでしょう
性格めちゃくちゃに悪いよね
つけ上がらせてる 世の中のせい
出典: 失敗がいっぱい/作詞:小沢健二 作曲:小沢健二
この章で紹介するラインはどれもユーモアにあふれています。
可愛いといわれていたのは小沢健二自身です。
「渋谷系の王子様」という今ではあまり名誉ではない称号でちやほやされていました。
彼の実際の性格までは熱心なファンでも伝聞でしか知りようがないでしょう。
しかし天狗になっていた時期が自分にもあったなあという述懐に思えます。
もしくは自分の可愛い子どもへの言葉かもしれません。
この問題ではつけあがらせているのは小沢健二自身です。
アルバム「So kakkoii 宇宙」のフロント・ジャケットは小沢健二が自分の子どもをスマホで撮影した写真。
小沢健二のDNAというものは子どもまで可愛くさせるのかと思わせます。
この少年の性格まで私たちは知りません。
ただ子どもというものはどこまでも自分中心なところがあります。
嘘がバレたらどうしようという思いのためにさらにデタラメを重ねたりして自分を守るのです。
こうした児戯のようなものを為政者がしている現代は怖ろしいですが。
小沢健二はアルバム「So kakkoii 宇宙」について過去の作品と違うことについて述べています。
「(以前は)子どもがいなかったです」
子どもというものの誕生で小沢健二はさらに責任感というものをしっかり持ち始めました。
明らかな政治への不信表明を歌詞に加えるなど社会性というものについて真剣に考えています。
彼には元からあった傾向ではあるのですが、この時期に来て真剣さの表明が加速しているのです。
ただ、その真剣さをこの国の大衆音楽のラッピングに綺麗に包んでくれる手腕は流石でしょう。
襖の向こうへの好奇心
しちゃいけないこと しちゃうんだよ
鶴の恩返しのネタバレだけど
開けちゃいけない襖って
開けちゃうよね
涙に滅ぼされちゃいけない
毎日には なおす力がある
出典: 失敗がいっぱい/作詞:小沢健二 作曲:小沢健二
このラインも可笑しみにあふれたものです。
確かに涙とは遠くいられそうな愉快なラインでしょう。
「鶴の恩返し」というのは固有の哀しみにあふれた昔噺です。
しかし小沢健二の手にかかるとちょっと可笑しみが増します。
人間にはお互いに交わした約束を破ってしまう失敗がいっぱいあるでしょう。
他人のプライバシーは尊重しなくてはいけないという社会の約束でさえ簡単に破ります。
好奇心というものが人間を急かしているのでしょう。
しかし好奇心があるからこそ人間は智慧を持ちました。
また重要な秘密とはいえ市民の知る権利によって日の目を見るものもあります。
反物を織ってくれる鶴は約束を反故されて憤慨して逃げ出しました。
それは老夫婦の失敗だったとはいえそのことを責めることはできるのか微妙なところでしょう。
大切なことは失敗への眼差しの在り方ではないでしょうか。
老夫婦は二度と同じ失敗はしないでしょう。
もう鶴は戻ってこないにしても教訓というものは老夫婦のこの先の人生の役に立ったはずです。
失敗に潜んでいるポテンシャルというものを見直したくなります。
詩才が爆発している
家族を幸せにするように
失敗のはじまりを反省する時も
最低な気分で
額打ちつけてざんげする夜も
その力はくる 魂を救う
出典: 失敗がいっぱい/作詞:小沢健二 作曲:小沢健二
笑える歌詞は先ほどの章までで、ここから終盤に向けて小沢健二の詩才が爆発します。
小沢健二は失敗したことを咎める歌詞を書いている訳ではありません。
失敗した後のリカバリーについて真剣に考えているのです。
そこでは罪への反省や懺悔というものが大切にされます。
反省も懺悔の気配もなく疑惑を乗り越えようとする為政者に道徳を説かれるのは納得がいきません。
しかし小沢健二の「失敗がいっぱい」の言葉の真摯さには救われるような思いがします。
実際に自分の魂を救済するのは反省や懺悔という主体的な行動によるでしょう。
この歌を聴いたからといって世界がよくなる訳ではないです。
大切なことはその先の生活や人生の中で私たちが選択する事柄でしょう。
虚偽と傲慢を貫くのか反省や懺悔から獲た教訓を大切に生きてゆくのかは私たちひとりひとりの問題です。
小沢健二はこの点に関して事実や真実を述べるだけで反省や懺悔を強いている訳でもありません。
彼は「So kakkoii 宇宙」というアルバムの中で盛んに善き力が湧くような歌詞を歌いまくります。
「So kakkoii 宇宙」はコンセプト・アルバムではありません。
むしろバラエティに富んだアルバムでしょう。
しかし他の収録曲にも「失敗がいっぱい」のテーマと通底するようなワードが顕れます。
この時期になって小沢健二というアーティストは家族を幸せにするように私たちを勇気付けるのです。
彼にとって家族の幸せというものが社会といかに深く繋がったものであるかが意識されているのでしょう。
ここにきてキラキラの小沢健二が帰還しましたが、歌詞をよく読むとその内容の成長に驚きます。
夜空に浮かぶ奇跡に気付こう
涙に滅ぼされちゃいけない
眠れないを眠らないにする月
だって出るから
出典: 失敗がいっぱい/作詞:小沢健二 作曲:小沢健二
素晴らしい詩の一節に解釈を加えるのは野暮です。
このラインはそのまま味わっていただきたいのですが与えられた仕事ですから言葉を加えます。
「失敗がいっぱい」は相互不信を招くような暗い発想との決別もテーマでしょう。
再三、指摘したようにあらゆる悲観主義へのアンチが含まれています。
日本社会の現状についての暗い側面についても触れた歌詞です。
しかしあまりにシビアになりすぎて問題の解決を投げ出すような悲観主義を敵とさえ見做すのでしょう。
失敗をくよくよと悩んで自己嫌悪に陥った夜。
眠れなくなってしまうという人に夜空を眺めることを推奨するのです。
顔を上げてみようと歌っています。
見上げた先には月が煌々と輝いているでしょう。
その光と輝きの不思議、あれこそ今は見えない太陽の光の反映でもあると思い始めます。
眠れない夜は月の輝きに思いを馳せて眠らずにいる夜へと変わるのです。
受動的な態度で眠ることができないという嘆きは、眠らないという能動的な態度で置き換えました。
こうした奇跡こそ神秘的な力がなすことでしょう。
日々の中に見つけられる奇跡なのです。