2000年代のロックバンドブームを代表するバンド

志村正彦という男

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志村正彦をご存知でしょうか?

フジファブリックを語る上で決して外すことができない人物です。

それ以前に、志村無しではフジファブリックは存在しなかったでしょう。

フジファブリックは2000年に彼を中心に結成されました。

どこか雲のようにふわふわとした雰囲気に包まれていた彼。

その人柄に惹かれていた方も多いのではないでしょうか。

奥田民生に大きく影響を受けた彼は、数多くのロックな名曲を産み出しました。

しかし彼は、2009年の暮れに突然帰らぬ人となってしまいます。

ですがフロントマンを失ったフジファブリックのメンバーは、バンドを継続することを選びました。

そうして現在の3ピース体制となって、現在も日本のロックシーンを牽引し続けているのです。

彼が生前残したエッセンスは、現在でもバンドの大きな枠組みとなっています。 

古くからの「バンド」の在るべき形を継承しているフジファブリック

今でこそ沢山のファンを抱える彼ら。

始めから快調というわけではなかったようです。

挫折や解散、度重なるメンバーチェンジを経て現在に至ります。

長くバンドを続けていく中で、作風の変化やメンバーの方向性の違いは必ず生じるものです。

有名なバンドも調べてみると、初期では知らない方ばっかりということがあります。

そうしていくうちにそのバンドの大きな骨組みが出来ていく...

これはバンドの初期によくあること。

最近では、バンド創設からずっと一緒のメンバーで名曲を産み出すバンドも多いです。

しかし彼らはメンバーチェンジを重ね、価値観を成長させてきました。

今回はそんな彼が歩んできた道、メンバー変遷の歴史を解説していきます。

第1期 結成

富士ファブリック

フジファブリックが誕生したのは、2000年の山梨。

志村正彦を中心に、彼の高校時代のバンド仲間で結成されました。

この時のバンド名「フジファブリック」ではなく「富士ファブリック」。

この名前は、この時のドラムを担当していた渡辺隆之のご実家の会社名。

特に何も考えずにつけたイメージ。

強いていうなら、少し和風な感じというだけでつけたそうです。

この適当な感じが若さを感じますね。

しかし、後年もこの名前が残っているということは...

いわゆる「運命」だったのかもしれません。

そして解散

この1期編成で活動していたのは約1年半。

上京を期に1度フジファブリックは解散。

しかし、1ヶ月後の2001年9月に志村と第1期のドラマーを引き継ぎ再結成されます。

そのバンドこそ「フジファブリック」です。

第2期 初のミニアルバム発表

名曲はすでに...

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新たにGt.萩原彰人、Ba.加藤雄一、Key.田所幸子を加え活動を開始したフジファブリック。

上京後、初のデモテープ、1stミニアルバム「アラカルト」を製作します。

この時録音した曲は「茜色の夕日」と「線香花火」。

2つの曲名にピンときた方は、生粋のフジファブリックファンといえるでしょう。

この2つの曲は、後にリメイクされて発表されるほどの人気曲に。

バンド初の作品で後々も歌い続けられる名曲を作ってしまうというのは、本当にすごいことです。

さらに茜色の夕日に関して。

当時のバイト先の先輩だった「氣志團」の綾小路さんが欲しがったことでもファンの間では有名です。

第3期 2ndアルバム発表、そして

現メンバー構成に近づく