歌姫・中森明菜

中森明菜は今年デビュー35周年。1980年代にアイドルとしてデビューし、日本の歌姫と言われるまでの大スターになりました。これまでに25枚のスタジオアルバム、2枚のライブアルバム、10枚のベストアルバム、13枚のカバーアルバムをリリースしています。 彼女のアルバム一覧はこちらから確認できます。 そんな彼女の代表曲を個人的なものですがランキング形式で振り返り、彼女の歌う歌詞の意味について考えました。

中森明菜ベスト5

第5位 少女A

まだ初々しい姿のこの映像。でも歌声からはすでに大物の片鱗が。

いわゆる普通の 17歳だわ
女の子のこと 知らなすぎるのあなた…
早熟なのは しかたないけど
似たようなこと 誰でもしているのよ

特別じゃない どこにもいるわ
ワ・タ・シ 少女A

出典: http://lyrics.wikia.com/wiki/中森明菜_(Akina_Nakamori):少女A

中森明菜の2枚目のシングルです。そしてこの曲で彼女はブレイクしました。 少女という言葉に匿名的なAを付け加えることで、何か背徳的な印象が強調されています。 作中で語られる普通の17歳がどんな17歳なのかわかりませんが、聴いているだけでドキドキします。 普通の女の子にきわどい歌詞を歌わせていた、それが当時はアイドルだったと言えるのかもしれません。 きっかけぐらいはこっちでつくってあげるなんて言われるととても大変です。 挑発的で、でもまだ少女でという17歳の女の子のあやうさが感じられる曲です。

第4位 ミ・アモーレ

時代の宴のなかにいる歌姫。

迷い 迷わされて カーニバル
夢ね 夢よだから 今夜は
誘い 誘われたら カーニバル
腕から腕の中 ゆられて
抱いて 抱かれるから カーニバル

出典: http://lyrics.wikia.com/wiki/中森明菜_(Akina_Nakamori):ミ・アモーレ

ここで歌われているカーニバルとは何でしょうか? もちろん歌詞の中ではリオの街のカーニバルです。 でも本当にそういう表層的な意味で読み解いていいのでしょうか? 芸能という日本の祭りの中で誰もが注目するスターだった彼女。 今の自分は夢なのか、夢じゃないのかと迷いながら歌っている彼女の姿がみえます。 腕から腕の中をゆられてと歌う、この腕とは特定のひとりの腕でしょうか? それとも違うのでしょうか? どこか、特定の誰かを愛すという本当の愛の世界ではなく、 男から男へ、女から女へと性が乱れている宴の光景もみえてきます。

第3位 DESIRE -情熱-

PV文化を先取りしたような映像。

そうみんな堕天使ね 汗が羽のかわりに飛んでる
何にこだわればいいの
愛の見えない時代の恋人達ね

まっさかさまに堕ちて desire
炎のように燃えて desire
恋もdance, dance, dance, danceほど
夢中になれないなんてね 淋しい

Get up, Get up, Get up, Get up, burning heart

出典: http://lyrics.wikia.com/wiki/%E4%B8%AD%E6%A3%AE%E6%98%8E%E8%8F%9C:Desire_-%E6%83%85%E7%86%B1-

この歌は、1980年代というバブル真っ只中の時代の中で、 欲望をただたぎらせ、愛を消費していた人々の、その欲望そのものを歌っているようです。

 

やり切れない程 退屈な時があるわ あなたと居ても
喋るぐらいなら 踊っていたいの今は

出典: http://lyrics.wikia.com/wiki/%E4%B8%AD%E6%A3%AE%E6%98%8E%E8%8F%9C:Desire_-%E6%83%85%E7%86%B1-

誰といっしょにいても退屈だと思うぐらいの無感覚。 そんななかで話すよりも踊りたいと彼女は歌っています。 そして何かがどこかで間違っていることを、堕天使という表現であらわしているのでしょう。 堕天使だからこそ、まっさかさまに落ちます。 堕天使だからこそ、炎のように燃えます。 80年代という誰もが欲望にかられ、正しいことがわからなくなっていた時代の宴の歌という見方もできるかもしれません。 でもそんな時代に対して、本当の燃えるような心が目覚めて欲しい。そういう願いをサビから感じるのは、筆者のうがった見方でしょうか?