「Loves」と愛と死と
2015年2月15日発表、Acid Black Cherryの通算4作目のアルバム「L-エル」。
このアルバムのラスト間近に収録された「Loves」の歌詞の意味を考えてみます。
波乱万丈の人生を送る女性・エルを主題にしたコンセプト・アルバム「L-エル」。
Acid Black Cherryの優れたストーリー・テリングに魅せられた人々が続出しました。
2016年には広瀬アリス主演で映画「L-エル」も公開されます。
元々のストーリーの骨格がきちんとしていたからこそアルバム「L-エル」は映像化に耐えました。
楽曲「Loves」は愛が至上の価値とされたアルバム「L-エル」の白眉ともいえる悲しみと希望を携えた歌。
聴き遂げるためにはアルバム「L-エル」の壮大なストーリーをすべて理解した上で解釈することが大切です。
それでもこの記事をご覧になる方はすでにあらすじをご存知であると思われます。
そのため、ストーリーの説明などは詳しく立ち入りません。
ストーリーについて知っておきたいという方には最後にOTOKAKEの関連記事をご紹介します。
「Loves」という楽曲が持つ普遍性を引き出すような解釈をしてまいりましょう。
それでは実際の歌詞をご覧ください。
美しい人
歳を重ねても美しい
エル そばにおいで
もっと顔を見せて
君はやっぱりキレイだね
出典: Loves/作詞:林保徳 作曲:林保徳
歌い出しの歌詞になります。
少女期のエルの心の支えでもあった絵描きのオヴェスとの最期の対面という設定です。
もう老女になったエルに天に召される間際のオヴェスが語りかけます。
絵描きのオヴェスですから物事の本質を掴む才能があるのです。
すっかり老いてしまったエルにも美しさが健全であることを見て取ります。
普段、私たちの身の回りにもエルのような人が必ずいるはずです。
人生の辛酸を嘗めて苦労してきたその顔に凛とした美しさを感じずにはいられない老女。
人生の大先輩がどのような人生を送ってきたのか私たちは多くを知りません。
しかし今作「L-エル」のように物語にしてもらえると彼女の壮絶な人生も見えてきます。
老いるごとに美しさを深める女性。
かつてオードリー・ヘップバーンはその若さと美貌で世界中を虜にしました。
後年、老年になった彼女がアフリカの奥地でボランティアに励む姿がスクープされます。
人々はその写真に老いたオードリー・ヘップバーンを見ました。
しかし彼女の美しさは老いることによって別次元の美しさに昇華されていたのです。
若いときの綺麗さとは違った美しさに人々は心を打たれます。
ボランティアに献身的に取り組むかつての大女優は老女になったときに美しさのピークを迎えたのです。
エルもまた波乱の人生を送ってきました。
オヴェスはそのすべてを理解した上でエルの美しさを讃えるのです。
新しい美しさを身に纏えるのならば老いることを怖がる必要はないのかもしれない。
そう感じさせてくれる場面です。
老いることを肯定してゆこう
エル ほら笑って
君のしわだって
すべてが愛おしいんだよ
出典: Loves/作詞:林保徳 作曲:林保徳
画家であるオヴェスは様々な美しいものをキャンバスに描いてきました。
その彼が特別な美しさを発見するのがエルその人です。
老いた人の美しさの秘密は何でしょうか。
人生の労苦が刻まれたしわこそがその人の年輪のようなものでしょう。
しわを隠すために様々な施しをする人もこの世界には多くいます。
しかし本当の審美眼を持った人はその美しさの虚しさを見破るでしょう。
近年、白髪を染めないグレーヘアの女性が増えてきました。
老いることを肯定してゆこうという思い。
自分にとって自然な状態であることがまず大事な価値なのだとする人が多くなったのです。
少し前までは白髪を染めることが美しさを保つポイントでした。
しかしグレーヘアの出現はそうした美の価値基準が相対的なものに過ぎないことを証明します。
いまや美しいグレーヘアは自然な老い方として積極的に称揚されているのです。
これはグレーヘアの方を美しいと思えるような社会的な素地が整ったということ。
美の価値基準はこのように受け手の審美眼によって絶えず変わりゆくものなのでしょう。
オヴェスという画家にとって女性の美しさの本質は自然な姿にあったのでしょう。
しわを隠せないエルを美しいと讃えるのもそのためなのです。
愛する人はいつだって美しい。
オヴェスの素朴な想いは私たちにとっても理解可能なものです。
死の床に横たわりて
老人の感性は優しい
傷ついて 傷つけて また傷つけられて
気がつけば 僕たちは大人になっていたね
今ひとつの幕が閉じようとしてるだけさ
Baby 泣かないで
出典: Loves/作詞:林保徳 作曲:林保徳
せっかくの対面ですがオヴェスは死の床に横たわっています。
お別れの時間が近付いていることをふたりは知っているのです。
過ぎし日を想い返しながら自分たちが来た道のりを確認しています。
私たちは死の間際にいるとき、大事な人に何を伝えられるでしょうか。
オヴェスにとってそれは私が消え去ることを寂しく思わないで欲しいという気遣いでしょう。
息も絶え絶えベッドに横たわっているときに他者へ悲しまないでと気遣える感性は老年の男性ならではです。
これまでの日々が辛かった分、エルにはこの後に笑顔を絶やさない人になって欲しいと願います。
再会して愛を確認
ともに苦労した分だけ気遣いができる存在になったふたり。
しかし優しい人同士の気遣いというものは、はたから眺めると胸が痛みます。
離れ離れでいたふたりですが久しぶりの再会でもすぐに心を通い合わせることができるのも泣けるでしょう。
生涯の中で本当に大切といえる人は誰でしょうか。
交友関係が多彩な人であっても本当に信じ合えている仲間は少ないかもしれません。
彼・彼女との永遠のお別れが迫っています。
私たちは愛する友人に何を伝えられるでしょう。
おそらく「Loves」の歌詞のよう。
彼・彼女のこれまでの人生へのねぎらい。
そして相手のこれからの幸せを祈る言葉ではないでしょうか。
自分にこの先はないと知ったときには希望を生き残る人たちのために譲らないといけないのです。
相続という慣習が法で認められているのもそうした当事者の心模様を想った故でしょう。
あげられるものは少ないけれどせめて希望を託したい。
美しい愛の姿がここにあります。