Suddenly
I'm not half the man I used to be
There's a shadow hanging over me
Oh yesterday came suddenly
出典: Yesterday/作詞:Lennon=McCartney 作曲:Lennon=McCartney
「昨日よりも男として小さくなったよ」みたいなことを歌っています。
ならば失恋ソングかなとも思うのですが御本人が母親のことだというのです。
和訳してみましょう。
「突然
以前の僕の半分にも満たない男に成り果てた
翳りが僕を覆いかぶさっている
ああ、昨日は突然現れた」
失恋ソングであっても母親との別れであってもシリアスな内容です。
失意が突然訪れる。
男女の別れには「兆候」を感じるものです。
一方、母親の癌での死去というものは死期を意識させられてもいつ実際に亡くなられるか分かりません。
ポールのインタビューでの発言を補強するような歌詞かなと思います。
そしてここでもう1つ分かるのは男がどこかで母親の影響下から抜けきれない生き物だということです。
よく「世の男性は皆マザーコンプレックス」といわれますが、亡き母への思いを赤裸々に歌う男性は普通いません。
仮に母の死があったとしても、それはそれで現実として受け止め消化して前に向かうのが普通だからです。
しかし、それを決して普通で終わらせずに芸術として爆発させるところがポールのポールたる所以ではないでしょうか。
正に「産みの苦しみ」を感じさせるフレーズです。
「She」とは誰のこと
母親であった場合
Why she had to go
I don't know she wouldn't say
I said something wrong now I long for yesterday
出典: Yesterday/作詞:Lennon=McCartney 作曲:Lennon=McCartney
この箇所の「She」が誰を指すのかが焦点です。
恋人なのか母親なのか。
原詩の音の響き合いが美しいところです。
発した言葉が美しくなければこれほどの名曲にはならなかったでしょう。
「彼女はなぜ去ってゆかなければならなかったの
僕にも分からないし、彼女も教えてくれないだろう
僕が何かしら間違ったことを言ったのか、今、僕は昨日を待ちわびているよ」
ポール・マッカートニーはこの節全体が母親の突然の死への思いを語っていると証言します。
なぜこの世を去るのかポールも母親も分からない。
母親は去りゆくことを少年のポールに告げるのが辛かっただろう。
少年のポールは自分が悪かったのではないかと自責の念を持ちます。
病気や事故での死というものは望んでこの世を去ってゆくわけではなく理不尽なものです。
遺された人々は困惑するばかり。
死には確たる答えがないので掘り下げても仕方がないのですが死の真相を知りたがります。
「きつねに抓まれる」とは正にこのことであり、強制リセットされたゲームのような感じでしょう。
ここで面白いのは母親だと解釈する場合goが「死ぬ」、即ちdieの意味になるということでではないでしょうか。
単純に恋人の解釈であればgoは「去って行く」という意味であって、この世から姿を消す訳ではありません。
しかし、be goneと受動態にするともう1つ「死」というとても危険な含みを持った意味となるのです。
それ位goという単語は裏にとてつもなく怖さを孕んだものになります。
恋人との別れの場合
これが恋人との別れであった場合には若干ニュアンスが変わります。
遠ざかってゆくことに何かしらの理由があったはず。
「彼女」はその理由を敢えて告げません。
別れ際で揉めたくないですし「僕」をこれ以上傷つけたくないという最後の配慮があったはず。
去られた方は鬱に沈み込んで自分の何が悪かったのだろうと考え続けます。
母親との別れであっても恋人との別れであっても意味が通じる歌詞です。
ただ、恋人との失恋であった場合には母親の場合ほどの喪失感はなく、割とありがちな傷心のニュアンスで済みます。
何故ならばそこには「死」という壮絶で怖い概念が微塵も生じないからです。
母親の死だと、とても重々しく響く筈の歌詞が恋人との別れだと幾分軽めに聞こえてきます。
もっとも、そのように見えるのはネットが発達した現代だからこそであって、当時はネットも何もありませんでした。
今ではたとえ別れたとしてもSNSや携帯電話番号の連絡先を削除しなければ、形の上では繋がったことになります。
しかし、当時はそのようなものはなく1度別れてしまえば本当に2度会えなくなるのではないかと思われる程でした。
だからこそ恋の約束であるとか別れだとかを1人1人が口に出さずとも重く考えていたのではないでしょうか。
つくづく人同士の繋がりが簡単に出来る便利な時代になったものだと感心します。
「Love」とはどんなもの
親子の「愛」、恋人との「恋愛」
Yesterday
love was such an easy game to play
Now I need a place to hide away
Oh I believe in yesterday
出典: Yesterday/作詞:Lennon=McCartney 作曲:Lennon=McCartney
この節では「love」の解釈が問題になります。
訳出は「愛」としました。
「昨日
愛は簡単な遊びのようだった
今、僕には隠れ場所が必要だね
ああ、僕は昨日の方を信じるよ」
簡単なゲームのようだったという「愛」とは母親との「愛」なのか、恋人との「恋愛」なのか?
中々、難しいところです。
そもそもポール・マッカートニーが21世紀になって「MOJO」誌で語るまでは恋人説しかなかったのです。
どのひとも素直に失恋ソングと思い込んでいました。
おそらくそれはポール・マッカートニー自身もそうであったはずです。
失恋を詩的に歌い上げたこととメロディやサウンドが高い評価を得たのですから。
これをラブスタイル類型論に当てはめるなら、同じloveでもその中身は全く異なった物になります。
母親の場合このloveはストルゲというとても近しい者同士の愛となり、恋人の場合はエロスという男女の情愛です。
どちらにしても、主人公とその女性は距離感が近すぎるせいで、かえって本質が見えにくかったのでしょう。
距離感が離れすぎているのも困りものですが、かといって余りにも近すぎても大事なものが見えなくなり執着になります。
どんな愛の関係でもあまり近すぎない方がいい関係を保てるということを一連の歌詞が逆説的に訴えているのではないでしょうか。
クライマックスに思うこと
わずか2分6秒の曲
Why she had to go
I don't know she wouldn't say
I said something wrong now I long for yesterday
Yesterday
love was such an easy game to play
Now I need a place to hide away
Oh I believe in yesterday
出典: Yesterday/作詞:Lennon=McCartney 作曲:Lennon=McCartney
クライマックスは繰り返しになります。
「Yesterday」は2分6秒とこの時代でも短い曲です。
もっと弦楽四重奏の音色を聴いていたいのですがすぐ終わってしまいます。
鬱々とした歌詞でもあるしポールのソロ作でもあるしあまり長い曲にはできない事情があったのかも。
繰り返しにはなりますが和訳を見てみましょう。
「彼女はなぜ去ってゆかなければならなかったの
僕にも分からないし、彼女も教えてくれないだろう
僕が何かしら間違ったことを言ったのか
今、僕は昨日を待ちわびているよ
昨日
愛は簡単な遊びのようだった
今、僕は隠れ去らなくてはならない
ああ、僕は昨日の方を信じるよ」
昨日に戻れたならばまだ母親は生きていた。
昨日に戻れたならばまだ彼女は僕のもとにいた。
どちらの想いも切ないです。
しかし肉親との死別というのは特別に忘れがたい経験になります。
亡くなった後も何度も肉親の姿を夢に見たりするものです。
新しい恋人はできても、新しい肉親とは出会えないもの。
人の生死というものはそれだけ深刻な事柄です。